源氏山(93m)
~古都鎌倉の山々を歩く・その3~

第156回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告

<実施日>
令和5年12月18日(月)

<天候>
薄曇りのち快晴

<参加者>
女性4名、男性8名 計12名
荒木正悦、内池久幸、喜々津一枝、喜々津和夫、木村慶子、久保庭啓一郎、小松袈伴
舛本啓子、山田興太郎、横山正雄、五十嵐敏子(サブリーダー)、石村毅(リーダー)

<集合>
JR北鎌倉駅西口改札口前広場 8:40

<実行程>
北鎌倉駅8:40集合・WC・行程説明・準備体操鎌倉街道9:00浄智寺・甘露ノ井9:209:30亀ヶ谷切通9:40岩船地蔵堂9:50海蔵寺・底脱ノ井・十六ノ井10:1010:20仮粧坂切通10:30源氏山公園・休憩・源頼朝像・WC10:4010:50源氏山山頂11:0011:15銭洗弁財天11:2511:30裏大仏ハイキングコース12:00大仏切通12:2012:30鎌倉大仏・仁王門12:4013:00昼食会場「海鮮びより」14:20鎌倉駅・解散

<歩行距離・実歩程>
歩行距離約16km、歩行時間約3時間30分、歩数約2万歩

<山行報告>
この冬一番の寒波が日本列島を覆い、当日も天候が心配されたが、登校する学生で大混雑する北鎌倉駅下りプラットホームを抜け、西口広場に出ると、薄曇りの空が快晴となり、ホットする気分にしてくれた。鎌倉の朝は、適度の湿り気のある空気を含んで気持ちがいい。

3度目の鎌倉山歩きのテーマは、生活に不可欠な「水場」と遺構として残る「切通」を歩き低山ではあるが源氏一族にとって大切な聖地とも言うべき「源氏山」一帯を歩き、最後に裏大仏ハイキングコースを踏破することである。制約条件は、午後1時までに予約した昼食のお店にたどり着くことである。

浄智寺の開門は9時なので、時間を節約するため駅前広場で、本日の行程の説明と五十嵐さんご指導の準備体操を行った。鎌倉街道を上がって5分ほどで浄智寺の門前に到着。このお寺が創建された13世紀の終わり頃の鎌倉は、北条氏の勢力が絶大で、禅宗が最も栄えた時期であった。お寺のある山ノ内地区は、この特徴が特に顕著で、いずれの寺院も谷戸と呼ぶ谷合に堂宇を並べている。浄智寺も寺域が背後の谷戸に深くのび、竹や杉の多い境内に、長い歴史を有する禅刹にふさわしい閑寂なたたずまいを保っている。鎌倉五山の内、第四位に位置する禅寺である。


その美しい惣門には、「寶所在近(ほうしょざいきん)」という仏の教えが掲げられている。「寶所」とは極楽浄土のことで、苦しみを乗り越えて、精進し、人のために尽くすことが来世で寶所に近づく道と説かれている。


当時の鎌倉は、その地形、地盤から良質の水が少なく、そのため良質水の井戸や湧き水を大切に保存してきた。浄智寺の参道入り口の反り橋のほとりに、鎌倉十井(かまくらじっせい)の一つとして名高い「甘露ノ井」がある。「不老不死」のいわれがあるが、その効能はどうであろうか。


浄智寺に入るとすぐに鐘楼門が目に入る。杉林に囲まれた参道の先に、鎌倉では珍しい唐様の鐘楼門である。そこに至る鎌倉石の石段が苔むして美しく、そのすり減った鎌倉石が歴史を刻む古刹のたたずまいを見せてくれている。2007年に再建されたこの門には「山居幽勝」の額が掲げられ、花頭窓のある上層には、1649年の梵鐘がつるされている。


鎌倉は何度も戦禍にまみれ、また台風や地震、津波そして関東大震災などで多くの神社仏閣や文化財が失われてしまった。それでも後続の政権や住民の力で今日の姿まで復活している。日本人の英知を見る思いである。浄智寺に現存する文化財などには重要文化財に指定されたものや、江ノ島・鎌倉7福神の一つで愛嬌のある「布袋尊」が奥の洞窟に祀られている。お腹を触るとご利益があると言われ、皆の手が伸びた。

1281年創建の浄智寺を足早に拝観した。本来ならこの寺院の左手の小路を上がっていく葛原岡ハイキングコースに入り、途中から次の海蔵寺に下る計画であったが、下りの小道が崩れかかっており、「危険」の標識がかかっていることが下見で判明した。従って、多少遠回りになるが、亀ケ谷経由で海蔵寺に入るルートを見つけた。

浄智寺より鎌倉街道を歩いて10分ほどで長寿寺の右脇に、扇が谷と山ノ内とを結ぶ「亀ケ谷坂」(かめがやつざか)の入り口がある。急坂だが昔はもっと急傾斜だったので、建長寺の池にいた亀がこの坂を上がったところ、急なために引き返したあるいはひっくり返ったことから、「亀返坂」(かめかえりざか)とも言われるようになったようだ。




源頼朝の時代は、北部から鎌倉に入るルートはここだけであったそうで、固い守りができた。この路地を入ると、観光客がほとんどいない坂道が出現する。「亀ケ谷切通」である。切通の一番高い部分には、岩壁が露出していて、六地蔵が祀られている。


ここで「鎌倉七切通」(又は「鎌倉七口」)について説明しておきたい。古都鎌倉は駿河湾に面する南地区以外は連なる低山で囲まれた難攻不落の要害の都と言われたが、他の地域との交流も不可欠であり、そのため低山の間に狭い通路を造り交易の便を図った。しかし防御策は堅牢なものが必須であった。防御拠点としての切通には、「切岸」と呼ばれる山の斜面を垂直に削り取って、人工的な崖にしたものや、「平場」と言われる山頂や山腹に造られた平らな場所などがある。意図的に道幅は馬がやっと通れるほど狭くしている難所がほとんどである。この古都鎌倉の山々を歩くシリーズのその1で「名越切通」を歩いたが、鎌倉市内には「鎌倉七切通」に数えられない切通も存在する。いずれそれらも訪ねてみたい。


亀ケ谷切通を下ったT字路に岩船地蔵堂がある。地理的にも次に訪れる海蔵寺の所有となっている。源頼朝と北条政子の最初の子であり、20歳の若さで亡くなった娘大姫の守り本尊を祀るお堂で、日本三大岩船地蔵の一つである。


岩船地蔵堂から歩いて5分ほどの、扇が谷の最奥にある古刹が海蔵寺である。1333年の鎌倉幕府滅亡時に、兵火によって七堂伽藍が焼失した。その後足利家により1394年に再建され今日に至っている。門前の右側には、鎌倉十井の一つ「底脱ノ井」が、境内南の厳窟には「十六ノ井」があり、裏庭では湧き水が絶え間なく流れるなど、「水のお寺」としても名高い存在でもある。岩をくりぬいた鎌倉らしい「やぐら」が多数見られ、また本堂の背後には池を配置した庭園(非公開)が広がっている。




またここは鎌倉有数の「花の寺」としても知られ、特に初秋のハギは一見の価値がある。手入れの行き届いた境内は、見事に自然と人の手が調和している。門前には美しい大きな猫がこちらににらみを利かせていた。




海蔵寺の門前右に鎌倉十井の一つ「底脱ノ井」がある。北条一族の安達家の娘千代能の詠「千代能がいただく桶の底抜けて水もたまらねば」に由来する井戸である。桶の底が抜けてしまって、この時心の煩悩が解け、さとりの境地に至ったと言われている。


更に、境内南には、板戸を閉めたやぐらの中に、縦四つ。横四つ 計十六の穴が規則正しく並ぶ「十六ノ井」があり、その水は枯れることがない。




ほぼ予定通りの10時10分頃に海蔵寺を後にして、一路「源氏山」に向かう。そこに至る山道に次の切通が待ち受けている。「仮粧坂切通」(けわいざかきりとおし)である。


この切通は、扇が谷、佐助から梶原、藤沢方面を抜け、その先の武蔵方面につながる古道で、今も往時の面影を残している国指定史跡である。この険しい切通は、1333年の新田義貞らによる鎌倉攻めで一大激戦地となった。見どころは、その急こう配である。鎌倉七切通の中でも屈指の迫力あるこう配と足元の大小の岩石が守りの要となった。


ここで鎌倉幕府終焉の推移を概略まとめてみよう。
                      
かねてから鎌倉幕府に不満を持っていた後醍醐天皇の幕府追討の令旨を受け、新田義貞(群馬と埼玉の県境を所領)は、少数ながら挙兵。1333年に入り大人数に膨れ上がった兵をたばねて鎌倉を目指し、5月には“小手指の戦い“に勝利した。幕府軍は援軍1万騎を加え、両軍合わせて数万騎が”分倍河原の戦い“で大激突した。双方で数千人の死傷者を出したと伝えられている。幕府軍はこの戦いにも敗れ、わずか500騎ほどで鎌倉に逃げ帰ったという。5月中頃には幕府軍は7つの切通を中心に防御網を築いた。7ケ所を守れば鉄壁の要塞となった。新田軍は仮粧坂、小袋坂、極楽寺、大仏坂の切通で激戦を繰り広げたが突破できず、海岸方面に回り、稲村ケ崎から由比ヶ浜へ出て鎌倉市中へ突入、鎌倉は火の海となった。東勝寺にて北条一族は自害し、150年続いた鎌倉幕府は滅亡した。この戦いでは新田義貞の同族である足利尊氏が大事な役割を果たしたが、そのくだりは次回にでも触れることにしよう。




仮粧坂切通を抜けてすぐに左に折れると源氏山公園となる。ここは源氏ゆかりの土地であり、大きな源頼朝像が鎮座している。ここまでほとんど休みなく歩き通したので、頼朝公の右脇のベンチで休憩を取った。


英気を養い、本日の後半へ。頼朝公の像の前で源氏一族気分の面々。公園のサザンカが満開の時期であった。




いよいよ源氏山山頂へ。後三年の役(1083年~1087年)の際に、奥羽へ出陣する八幡太郎義家が、この山頂に源氏の白旗を立てて先勝祈願をしたとされ、旗立山あるいは御旗山とも呼ばれたとされている。木々の間から富士山の思わぬ真白き姿が見えて感動した。11時には下山して、銭洗弁財天を目指した。




急坂を下って、11時15分頃には銭洗弁財天宇賀福神社に至る。ここは、頼朝公が巳の年の1185年巳の月の巳の日に見た夢に「宇賀福神」が現れ、西北の仙境に湧き出ている霊水で神仏を祀れば平穏に治まると告げたそうだ。泉を発見した頼朝公は岩窟を掘らせて宇賀福神を祀ったのが始まりという。鎌倉五名水の一つである。この水でお金を清めると、心の不浄も清められ、金運上昇のご利益があると言われている、洗ったお金はすぐに使うほどご利益が大きいとされている。(タンス預金はご利益なし)ここの入り口が隧道になっているが、元々は南側の細い参道が入り口であったのを、第二次世界大戦後に隧道が造られ、現在の入り口となっている。






手短に参拝を済ませ、11時25分には宇賀福神社を後にした。急坂を登り返して裏大仏ハイキングコースに入る。このコースは鎌倉市中を東に見下ろす尾根を歩く約2kmのコースだが、途中にはクサリ場などもあり、適度のアップダウンも待ち受ける。住宅が散在する地帯を抜けると、左側の木々の間から遠方に相模湾が陽を受けてキラキラと輝いているのが見える。




尾根は木々に覆われていて、比較的歩きやすい。終着点の大仏坂に向かって、山道は大方下りであるが、途中の岩場は滑りやすいので注意が必要。クサリも備え付けてあったが、過度に頼るべきではない。






約30分の山歩きでコースの終着点に至る。左手の階段を下ればすぐに大仏様へ。右手の階段を上がれば大仏切通へと続く。予定の時間をかなり縮めて歩いてきたので、大仏切通を抜け降りて、大仏様の方へ歩くことにした。


この大仏切通は、鎌倉幕府の重要な防御地点であり、また交易交通上の要所となっていた。この痕跡は切通を歩くことで見て取れる。


切通に入ると険しい道幅となり、往時はこの道を馬も通って交易利用もされていた。今は静寂が覆っている。1333年の新田・足利軍と幕府軍がこの大仏切通でも全面衝突したが、この地形が幕府側を何とか守ってくれた。




12時20分には大仏切通を抜けて、火の見下に出てから鎌倉大仏に向けて一気に歩いた。12時30分には鎌倉大仏の「仁王門」に到着。皆さんこれまでに大仏さんを拝観していることから、今回は「仁王門」と「仁王像」を拝観することにした。この仁王門は大仏さんの入り口となっているが、観光客の多くはここを素通りしている。数人の外国人観光客とおぼしき方々がその前で記念写真を撮っている。

この仁王門は、18世紀初めに他所から移されてきたものと考えられており、仁王像も同じく江戸時代中期のものと見られている。仁王門は主な柱が8本ある八御門と呼ばれ、本を伏せたような二方向に斜面を持つ切妻造の屋根を有している。仁王門には高徳院の山号である「大異山」の額が掲げられ、ここの正式名称が「大異山高徳院清浄泉寺」であることを示している。



この仁王門では、阿吽形の木像が出迎えてくれる。江戸中期からの長期間に渡る風雨に耐え、経年劣化が進む中で東日本大震災に遭遇し、仁王門と仁王像ともに総点検され、緊急な補修が必要となった。約2年の修復を経て、平成26年春に門も像も無事復帰を果たしている。この大修理の模様は、「鎌倉大仏殿高徳院木造仁王像平成修理報告書」(平成27年3月発行計117頁)に詳しく記録されているので参照されたい。
https://www.kotoku-in.jp/pdf/mokuzouniouzou-repair-report.pdf



12時40分には大異山高徳院を離れ、予約してある由比ヶ浜大通りの「海鮮びより」に足早に向かった。12名が入って満席に近い状態となったが、店長はじめスタッフが手際よくあらかじめ注文してある海鮮料理と飲み物を出してくれた。
皆さん満足した顔でお店を後に鎌倉駅に向かい、本日の解散とした。




古都鎌倉の3度の山歩きを通じて、鎌倉の持つ豊かな自然と多くの遺構や建造物そして伝統工芸品などを目の当たりにしてきた。人間の手で作り上げたものは、必ず経年劣化するものであり、適切な時期に適切な手入れが不可欠であることを改めて痛感した。これまでも我々の先人たちは、難儀をしながらもこれを成し遂げたからこそ、我々は感動を持って今日見ることができるのである。前述の仁王門と仁王像の修理報告書においても、高徳院住職佐藤孝雄氏は「改めて思うに、屋下にこそあれ、しばしば風雨にもさらされる仁王像ほど過酷な環境に置かれている木彫仏もなかろう。かかる仁王像に住職を拝命して以来観察を怠ってきたこと、不明の至りであり、誠に申し訳なくおもう」と述べ、「仁王像の状態を気にかけたことは正直ほとんどなかった」と反省している。それでも、鎌倉在住の彫刻家一門や仏教美術史家の協力、更には写真家やVR画像の作製、三次元計測などによる記録などをもって、「随所に工夫も凝らし、丹念に修繕を図ったことにより、仁王像は、以後数百年に亘り尊容を保てるだけの堅牢さも備えたものと確信する」と結んでいる。

古都鎌倉の山歩きでは、「温故知新」を身をもって実感する思いである。


報告:石村毅
写真:喜々津和夫、喜々津一枝、山田興太郎、舛本啓子、石村毅


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柏木山(303m) 多峯主山(271m)

第155回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告

<実施日>
令和5年12月9日(土)

<天 候>
晴 

<参加者>  
[山行班] 
五十嵐敏子、喜々津一枝、木村慶子、齋藤栄子、石村毅、内池久幸、久保庭啓一郎、齋藤壽士、山田興太郎、横山正雄、加藤正彦(リーダー)11名
[調理班] 
石川益巳、尾崎秀夫、喜々津和夫、仲山典美、平田慎一郎、山口光郎、神崎修(リーダー)7名
計18名

<集 合> 
8:10 西武池袋線 飯能駅 改札口

<コース> 
飯能駅南口 8:21発西武バス8:30 大河原工業団地入口着 8:45 配水場広場 準備体操9:00赤根ヶ峠9:40柏木山9:5011:00 ドレミファ橋11:40多峯主山11:50 12:40 高麗駅12:50 巾着田

<実歩程・歩行距離>
4時間 9.0 km

<山行報告>
山歩き会は恒例の豚汁昼食山行を、飯能の柏木山・多峯主山から巾着田に向かうコースで実施しました。
まず飯能駅に全員で集合。下拵えした食材を持った調理班は高麗駅まで電車で移動し、巾着田の河原で豚汁の準備にかかります。


山行班は飯能駅南口からバスに乗車。登山口で入念に準備体操を行った後、まず柏木山に向かいます。
当日の天気は快晴。まだ紅葉の残るなか、落ち葉を踏みしめ登っていきます。








途中富士山の姿も望みながらほぼ予定通りに山頂に到着。柏木山は飯能三山の中の最高峰で南方向に大きく視界が開けています。






山頂で記念撮影後、入間川方向へ下山。






吾妻峡でドレミファ橋を渡り、多峯主山に向かいます。この頃調理班より「豚汁は出来上がった。調理班も(お酒をだいぶ飲んだので)出来上がりつつある」との電話がありました。なるほど写真を見ると、かなり出来上がった調理班の姿がうかがえます。


一方山行班は12月としては異例の高温となった中、汗をかきながら多峯主山へのジグザクの登りを乗り越え山頂へ。記念撮影後急な下りを注意しながら通過し、一路調理班と豚汁が待つ巾着田に向かいました。


早く行かないと豚汁が無くなってしまうのではないか、と言う心配から予定より30分以上
早めに到着。無事に豚汁をいただき、ビールで乾杯しました。






豚汁には更にうどんやお餅も入って、味もボリュームも満点。皆でキレイに食べつくしました。

写真:石川益巳、加藤正彦 文:加藤正彦


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麦山の浮橋から山のふるさと村へ

第154回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告

<実施日>
令和5年11月29日(水)

<天気>  
快晴

<参加者> 
男6名 石村毅、越智慎二郎、斎藤壽士、喜々津和夫、山田興太郎、横山正雄
女5名 木村慶子、喜々津一枝、関美紀子、山田恭子、舛本啓子、
リーダー木村慶子 サブリーダー 舛本啓子

<集合>  
奥多摩駅9時20分集合

<コース> 
奥多摩駅バス発9:30峰谷橋9.55小河内神社10.30ドラム缶橋湖畔小道11:00山のふるさと村12.00ネイチャートレイル「Ⅰ」13:00山のふるさと村バス14.00奥多摩駅着14.35

<実歩程、歩行距離>
歩行時間 3時間  歩行距離4.2㎞

<山行報告>
奥多摩駅発9時30分の出発予定でしたが、電車の到着が事故で遅れ、バスの定時出発を約10分遅らせてもらい、全員乗車出来ました。
バスからの風景は雲ひとつない青空の中、山々の紅葉、波ひとつない油を引いたような奥多摩湖の周りをめぐり降車地峰谷橋に着く。




  
準備体操を終え湖に突き出た小高い峰の先の小河内神社を参拝後、ダムが出来た後村人が山仕事に行くために設置されたドラム缶橋を通り対岸に渡る。





落ち葉を踏みながら湖畔の小道が‘’山のふるさと村‘’へ続いている。突然、我々を恐れる様子もない猿集団、河原に猿の親子、背中に子供を乗せる母猿、柿の木にぶら下がる子猿、ひとまわり大きいオス同士の争い、河原に遊ぶ猿集団が我々を迎えてくれる。
ビジターセンターの方の話では人には危害を加えない集団との事です。









昼食を終えトレイルコース「Ⅰ」を全員で登る。





午後2時には‘’山のふるさと村‘’から出してくれた無料のバスに乗り奥多摩駅へ。
お天気にも恵まれ十分自然を満喫できた山歩きでした。
万歩計は1万5千歩を示していた。


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金 時 山

第153回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告

<実施日>
令和5年11月11日(土)

<天候>
曇り

<参加者>
合計14名(男8名、女6名)
五十嵐敏子 石村毅 内池久幸 尾崎秀夫 加藤正彦 喜々津一枝 喜々津和夫 木村慶子
斎藤壽士 斎藤栄子 瀬川健治 山田興太郎 山田恭子(サブリーダー) 舛本啓子(リーダー)

<集合>
JR御殿場駅 箱根乙女口タクシー乗り場 8:20集合

<コース>
JR御殿場駅乙女口8:30タクシー乙女峠登山口8:45/準備体操/9:00乙女峠9:50長尾山10:30金時山頂11:30/(昼食)/12:10分岐12:40矢倉沢峠13:00金時登山口13:40/解散

<実歩程時間・歩行距離>
4時間30分・4.9キロ

<山行報告>
秋の行楽シーズン、箱根湯本から登山口までの道路状況を考慮し、御殿場からのアプローチを選択した。
小田急ロマンスカー(松田からJRに乗り入れ)ふじさん1号を利用、当日は御殿場でゴルフ大会が実施されるとかで、なんと指定席は満席、皆さんに事前購入を依頼してあったので参加者全員、最後尾の6号車付近に乗り込むことができた。
御殿場駅からは予約しておいたタクシー4台に分乗し、渋滞にあうこともなく15分で登山口に到着。
天気予報通り、どんよりとした曇り空、雨が降っていないだけでもありがたい。
前日の雨で登山道もぬかるんでいるだろうと、まずはスパッツを装着し、準備体操。



11月上旬には金時登山口付近でクマ熊の目撃情報ありとのこと。
クマよけの鈴も装着して出発です。
今回は14名と参加者多数のため、3つのグループに分け、山田(恭子)さん、加藤さん、と舛本がそれぞれのグループリーダーとなり、各自「脚力」に応じたグループで行動し、登りでは、乙女峠と長尾山山頂、下りでは2か所の分岐にて、先行グループが後続グループの到着を確認後に出発するという方法で緩い連絡体制をとることとした。


金時山登山口

乙女峠までは緩やかな登りが続く。


乙女峠
第3グループが合流して記念撮影。本来は美しい富士が望めるはずの場所ですが。
乙女峠から長尾山までは勾配も多少しきつくなり、グループ間のスピードにも格差が出てきて、長尾山では先頭グループに10分遅れで第三グループは到着。


長尾山山頂
長尾山を過ぎると、しばらくは尾根歩きが続くが、金時山山頂まではここから2度の登り返しがある。


霧の中の紅葉もまた幻想的で美しい。


ロープが張られている個所や急峻な岩場なども数か所を通過し、やっと金時山頂に到着。


簡単に昼食をとった後、記念撮影。富士山はガスの中でした。


昼食後、仙石原を目指して下りを開始。
歩幅に合わない急な階段も多いが、霧の中をひたすら黙々と下っていく。



分岐を過ぎたあたりから、少しづつ視界が開けてきた。芦ノ湖や仙石原のススキが原も見渡せる。
明神岳に続く縦走路も眼前に広がってきた。



矢倉沢峠で全員合流し、その後は階段の多い下りを金時登山口に向かう。
最後に仙石原に向けての別荘エリアの紅葉を眺めながら歩き、計画時間よりも1時間早く下山することができました。



登山口にて記念撮影。


ラリック美術館の前に、「別荘地」箱根仙石原のイメージとは少々ちがった庶民的な居酒屋、「チャイナハウス」にて、ビール、紹興酒で軽く反省会。
仙石から箱根湯本までのバスは予想どおりの大渋滞。バス車内でネット予約したロマンスカーに間に合うかどうか、ヤキモキしましたが、なんとか間に合い、無事帰路につくことができました。
 
写真 加藤 喜々津 舛本


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日連連山と鉢岡山(460m)

第152回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告

<実施日>
令和5年10月21日(土)

<天候>
晴れ

<参加者>
計8名(男7名、女1名)
内池久幸(リーダー)、五十嵐敏子、加藤正彦、喜々津和夫、小松袈伴、齋藤壽士、瀬川健治、手塚吉勝

<集合>
中央線藤野駅改札口 8時00分集合

<コース>
藤野駅8:00集合/8:10発(22)日連神社8:32/準備体操/8:45 (50)宝山(374m)9:35/9:45(10)日連山9:55(20)杉峠10:15/10:25(30)鉢岡山10:55/昼食/11:25(25)杉峠11:50/12:00(25)峰山(423m)12:22(3)八坂山(420m) 12:25 /12:29(3)峰山(423m)12:32(18)金剛山(419m)12:50/13:05(30)金剛山登山口13:35(23)藤野駅13:58/解散
<実歩程・歩行距離・最大標高差>
歩行時間・距離:約4.4時間、約9.9㎞ 最大標高差:約230m

<山行報告>
今回の山行は、下見をすることなく、インターネットや現地観光センターからの情報を基に、地図ベースで、皆で考え、行動することを目的に企画したものです。藤野駅で参加者全員に、1/12,500の守屋氏編集の地図を配り、山歩きをスタートした。地図を時々見ながら先導したが、地図は鎖場、急坂、ベンチの有無など非常にわかりやすく書かれており、迷うことなく無事山行を終えられた。今後も下見に頼るのではなく、インターネットや現地情報の活用が望まれる。

事前情報で、一週間前に登った人たちは全員ヒルにかまれたとの話を聞き、当日は登山口手前にある日連神社で全員ヒル対策をして山歩きを開始したが、一週間ほど天気の良い日が続き、当日も天候に恵まれたため、全行程を通じてヒルに出会うことはなかった。また、熊情報もあり、熊鈴をつけて歩き、熊に合うこともなかった。

日連連山は、当会としては初めてであったが、登り始めは相模川沿いに道幅の狭く、急峻な崖沿いを歩き、宝山手前ではちょっとした鎖場を登り、そのあとアップダウンを繰り返しながら、戦国時代に烽火台のあった鉢岡山、そこから戻ってさらにアップダウンを繰り返し、金剛山から急峻で結構長い下り坂をおり、藤野駅で解散した。林の中の歩きが多く、見晴らしはあまりよくなかったが、峰では、見晴らしがよく、素晴らしい景色が見られた。

日連連山は、マイナーなコースのため、最初はほとんど登山者を見かけなかったが、四団体位の方が山歩きをしていた。

今回は八名の参加で、参加者を確認し、小松さんのペースで歩くことを決め、結果的にはばらけることもなく、予定より約40分早く藤野駅に到着・解散した。高尾で反省会を行った。
全員が怪我も無く、無事に山行を終えることができ皆さんに感謝しています。


日連神社にて、山行の無事を祈り参拝。


ヒル対策後出発。


日連神社にて


日連アルプス登山口 


くさり場にて


宝山にて休憩。











杉峠にて 


鉢岡山への途中の展望台にて


鉢岡山にて


八坂山




峰山頂にて





峰山頂からの眺望




金剛山にて


相模川 


日連大橋を渡り、藤野駅を目指す。

(報告:内池、写真:加藤、喜々津、齋藤、内池)


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日川渓谷 竜門峡

第151回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告

<実施日>
令和5年9月30日(土)

<天候>
曇り

<参加者>
石村毅 内池久幸 山口光朗 山田恭子 喜々津一枝 舛本啓子 五十嵐敏子 7名

<集合>
中央線甲斐大和駅 9:04(高尾駅 8:09発 2両目車内)

<コース>
甲斐大和駅 9:20バス9:30姫が淵9:40景徳院10:30竜門峡入口  11:05天鼓林11:30平戸の石門12:00栖雲寺12:10石庭会館12:25天目山温泉 14:31バス発15:24甲斐大和発16:32高尾

9:30 姫が淵 北条氏から嫁いだ勝頼夫人19才の侍女16名は日川の淵に若い身を投げた、伝承碑の前で 準備体操



9:40 景徳院 織田、徳川連合軍に敗れた勝頼主従を供養するために家康が建立


10:30 竜門峡遊歩道入口 里道2.4キロを整備したコース、歩いてみて「遊歩道 ではない」という意見が出た








11:05 天鼓林 足を踏み鳴らすと太鼓のような共鳴音が聞こえる 周辺はかつての里山であり、炭焼き窯跡、竹林がある








11:30 平戸の石門






12:00 天目山栖雲寺 織田信長軍の襲撃を受けた勝頼は信満の墓があるこの寺を最期に目指したがかなわなかった







石庭会館から南に富士山、東に石庭が見える

12:25 天目山温泉  温泉につかり汗を流し、ビールで乾杯、手作りの食事はたっぷりの量でお酒も美味しく  ゆっくり時間をかけて食事、ソフトクリームで仕上げ



14:31 予定より早いバスに並ぶ

当初は8月19日(土)の予定でしたが、数日前からの大雨でコースの安全が確認できず中止にして、9月30日(土)に延期しました。 猛暑も落ち着き曇り空の中を、渓谷の水音を聞きながら爽快に歩けました。

リーダー 五十嵐敏子 サブ 舛本啓子
写真   舛本啓子  内池久幸


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御岳山(929m) 大岳山(1,266m)

第150回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告

<実施日>
令和5年9月10日(日)

<天 候>
曇り時々晴

<参加者> 
内池久幸、加藤正彦、齋藤壽士、清水恵美子、尾崎秀夫(リーダー)
計5名

<集 合> 
8:05 青梅線 御嶽駅

<コース>
御嶽駅8:10西東京バス ケーブル下8:20滝本8:26 御岳山ケーブル 8:32御岳山駅 御岳山駅 8:50発9:00 神代欅 10:00 サルギ沢分岐 11:00 大岳神社 11:20 大岳山山頂(昼食) 12;00 14:00 御岳神社 15:30 御岳山駅  
15:38 御岳山駅 15:44 滝本 ケーブル下15:50 16::00 御嶽駅

<実歩程・歩行距離>
4時間15分 8.3 km

<山行報告>
8:50山行開始。途上、ビジターセンターに寄り、前々日の颱風大雨の影響を聴き取り後、宿坊の立ち並ぶ御師集落のつづら折りの急坂を登る。
天気予報により、午前中の晴天を期待していたが、一向に陽射しが出てこない。





巨大な神代欅を高く右に仰ぎ見て門前茶店街、御嶽神社前を通過、山道に入る。
はるか左下に沢水の音を聞きつつ、比較的平坦な樹林帯の中の道を行く。
天狗の腰掛け杉あたりで、奥の院、鍋割山に登る道を右に分け、更に進むと綾広の水場・東屋を過ぎて、にわかに急な登りとなる。







登りついて、サルギ沢分岐のある尾根上に飛び出す。
尾根の上とはいえ、付近は尾根筋を境に左右にはっきり照葉樹と針葉樹が棲み分けしている樹林帯で、展望はまったく無い。



分岐を出発して尾根上を行く事しばし、岩場、鎖場が始まる。

大岳山荘の広大な廃屋を左手に見て、大岳神社の拝殿に着くあたりからは、手も使って3点確保の必要のある、やや急峻な岩場となる。









11:20 大岳山山頂に無事到着。記念写真撮影後、食事休憩とする。
ちょうど昼どきの事とて、三々五々同様の登山者の姿があったが、この山は「青年」と言っても良いくらいの若年登山者層が多いという印象が意外でもあった。
雲がかかり、展望には恵まれなかったが下山直前に少し雲が切れて、御前山方向を僅かに望む事ができた。





12:00 下山開始。岩場は下りがより危険との事にて慎重に降りる。
帰路は鍋割山・奥の院経由のルートも検討したが、折から若干雲行きが怪しくなり、足元の悪い同ルートは避けて、ピストンを選択、往路をそのまま下る。



御嶽神社まで降りてきて、ここからは歴史ウォークに切り替え、本殿を参拝、更に奥の院の急峯を遠目に遥拝した。









神社門前の茶店街の一軒で軽い打ち上げ。
この頃になってようやく今日一日まったく望めなかった陽光が射してきたのは眞に皮肉な事であった。



15:38発のケーブルとJRを乗り継ぎ、全員が西武新宿線。
上石神井下車と鷺宮下車に別れ車内で自然解散した。

その他)今回は催行予定日9/9の前日に颱風13号が首都圏を直撃し、日程の変更と当初予定コースの大幅な変更を余儀なくされました。
結果、参加人数も極めて限られてしまうなど、残念な面もありましたが、大岳山はそれ自体魅力のある山であり、それなりに変化のある山行は安全に楽しめたかと思います。

文;尾崎秀夫 写真:内池久幸、清水恵美子、加藤正彦



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戸隠神社・飯縄山(1,917.3m)

第149回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告
2023年7月23日~24日

北信五岳のうち戸隠、飯綱の2山を1泊で楽しもうという贅沢な企画。
とは言っても高齢者が主力になりつつある当会。無理は禁物です。

23日
で、初日は長野駅集合9時20分と設定しました。チャーターバスで戸隠に向かい、奥社入り口から歩き始めました。









10時40分。戸隠神社の奥社参拝して隋神門まで戻って、熊の生活領域とも言われる自然植物園に入り
、戸隠山の特徴ある姿を映す鏡池などを楽しみました。
ここで長野駅で購入したお弁当などをのんびりと食べました。





ここからから中社まで緑の中を歩いて1時間20分ほどで、巨大な3本杉に3方を囲まれた中社に到着。
午後3時には参拝も終え、23日の山歩きを締めくくりました。
猛暑の中でしたが、歩くところの地形によってはウグイスの鳴き音と冷風を同時に楽しむことができました。









24日
2日目は標高1,917.3mの飯縄山を楽しむ。参加者の体力に応じて
1.西登山道から頂上に至り、帰路は一の鳥居登山道を下り、定期バスで戻る
2.往復共に西登山道を使う
3.頂上は目指さずに飯綱山の麓を巻いている戸隠参拝古道コースを行く=の3班に分かれました。
各班とも計画には戸隠そばの名店「うずらや」の営業時間や、神告温泉での入浴時間が下山完了の目標時間として組み込まれていました。

大部分の参加者が山、蕎麦、温泉の3つを味わえました。
そして中社の「民宿とがくし屋」に待機するチャーターバスに余裕を持って乗り込むことができました。
 
参加者
石村毅 内池久幸 尾島紘平 越智慎二郎 加藤正彦 喜々津一枝 喜々津和夫 菊田和子 木村慶子 久保庭啓一郎 斎藤壽士 清水恵美子 瀬川健治 瀬川恵 舛本啓子 山口光朗 山田恭子 横山正雄
(文責 久保庭啓一郎)



飯縄山(1917.3m)A班報告

<参加者>5名(男4名、女1名)
尾崎秀夫、齋藤壽士、清水恵美子、瀬川健治、内池久幸(A班リーダー)

<コース>
宿舎7:357:40/西登山道入口/7:45(40)8:25/萱ノ宮/8:35(20)9:55/西登山道分岐/10:05(20)10:25/飯縄山/10:40(30)11:10/西登山道分岐(35途中で昼食15分)11:45/天狗の硯石/11:50(20)12:10/駒つなぎの場(40)12:50/一の鳥居登山口(22)13:12/飯縄登山口/13:17発バス13:40(?)着/戸隠中社バス停13:50/宿舎

<実歩程・歩行距離>
歩行時間・距離:約3時間40分、約8km

<山行報告>
A班は当初加藤リーダーで、6名での山行予定であったが、リーダー体調不良により急遽内池がリーダーとなり5名の山行となった。
当日は天候にも恵まれ、予定より少し早く7:35に宿舎を出発した。
神告げ温泉を経て西登山道入口で体制を整えいざ出発。
いきなり急な山道であったが、すぐに前夜の雨にもかかわらず歩きやすく林の中を抜ける広い山道となった。






萱ノ宮にて休憩。


途中比較的よく見かけた花


マツムシソウが咲いていました。




西登山道分岐(南に行くと一の鳥居方面)に到着。


分岐前後にしもつけ草が群生して咲いていた。


頂上に向けて、眺めが良く、風通しも良く、高山植物がきれいなところで水休憩。


  

飯縄山山頂に到着。


山頂からの眺望 
 

山頂から少し下がって、飯縄神社の近くにヤナギランが咲いていました。
  



飯縄神社  

ここから分岐へ行く途中で、後から来たB班とすれ違う。


分岐より下がった、眺めの良い場所で昼食。


分岐より石の多い少し急な路を下がってくると、天狗の硯石


駒つなぎの場


駒つなぎの場から1合目までの間に13の仏像がまつられている。これは第一の不動明王。


一の鳥居へ到着。


一の鳥居登山口に12:50に到着。

ここまで、全員が怪我もなく、ほぼ地図上のコースタイム通りに下りてこれた。
ここから飯縄登山口バス停まで行くのだが、道が分からず苦戦。すんでいる人に道を聞いて、バス停にたどり着いたのは、バスの発車時刻の5分前であったが、少しバスも遅れてきたこともあり、余裕で戸隠中社前バス停に到着。宿舎に戻った。
今回のチームは、バランスのとれた良いチームであった。おかげさまで自分の目的でもある高山植物を堪能しながら楽しい山行をすることができ、皆さんに感謝しています。
(内池記)



24日(2日目) B班 行動と写真


参加者=石村毅 久保庭啓一郎 瀬川恵 舛本啓子
7時31分 宿舎発
7時48分 西登山口
8時35分 萱ノ宮
(注)登り萱ノ宮付近にて瀬川さん 蜂と思われるものに左手のひら(要確認)を
   この後、瀬川さんの行動は軽々としてきて 蜂に刺されたこととの関係を想像する見解も
   飛び出す。(久保庭説)
10時20分 分岐 
(注)分岐にて喜々津(和)さん下山開始


10時33分 飯綱神社


10時45分 飯綱山頂

11時20分 下山開始
13時    萱ノ宮
13時30分 西登山口

以上=走行距離 10.7キロ
   登り下り 799メートル
   休憩時間 2.05分
   実歩行時間 4時間



戸隠山行 二日目C 班報告

<天 候>
晴れ

<参加者>
7名 男3 名、女4 名
木村慶子 リーダー 、越智慎二郎、山口光朗、横山正雄、喜々津一枝、菊田和子、山田恭子

<行 程>
7:30 民宿とがくし屋出発(1.2㎞、25分)7:55 火御子社(西行桜) (参拝、休憩)(1.8㎞、35分)8:35 宝光社着(参拝、トイレ休憩) 宝光社バス乗車(10分) 飯綱登山口下車9:10 一ノ鳥居苑地(トイレ休憩)9:20 出発(11㎞、20分)9:40 大久保茶屋着・発(2.2㎞、50分)10:30 祓沢・戸隠展望苑着(10分休憩、軽食)10:40 発(1.2㎞、24分→45分)11:25 夕陽展望・そば博物館着そば博物館バス乗車(9分) 中社下車そば処うずら家(昼食)13:15 民宿とがくし屋神告げ温泉入浴休憩

<実歩程・歩行距離>
歩行距離8.28.2km、歩行時間3 時間

<山行報告>
C班は一の鳥居から中社までの「戸隠古道」沿いの目ぼしい名所旧跡を訪ねがら歩く「健康維持」コース。
7時半に宿舎の「民宿とがくし屋」を出発。戸隠古道に沿った戸隠バードラインを逆コースで歩き、先ず「火御子社」(西行桜)に立ち寄ったあと「宝光社」を参拝。
270段もの急こう配の階段の先にある神殿は荘厳そのもので一同深々と拝礼。
しばし境内を見学したあと、バスで「飯綱登山口」まで移動。


「西行桜」史跡








以上、宝光社にて

飯綱登山口からは「一の鳥居跡地」「大久保茶屋」「戸隠展望苑」「夕陽展望苑」経由で「そば博物館」まで歩行。一の鳥居から夕陽展望苑までは古人が林野を切り開いてつくった戸隠神社に至る参道で、途中点在する「丁石」や古人が馬と一緒に歩く姿を彷彿とさせる「石畳」を目にしながらひたすら歩き続けること約11時間強。




古道を歩く

そして古道が一度途切れたところで「戸隠展望苑」、戸隠山をバックに白い花を一面に咲かせる広大なそば畑が忽然と現れ、その壮観な景色に一同思わず歓声。
「夏の思い出」を歌いながらいただいたおにぎりの美味しさも手伝って忘れることのできない夏山山行の一コマとなった。


戸隠山を背景に白い花で覆われたそば畑

そば畑の景色を堪能したあとは最後の歩行路にある「夕陽展望苑」を経由して「そば博物館」まで歩いたあと、再びバスで中社前まで移動。
戸隠一番人気のそば処「うずら家」でそばとビールに舌鼓を打ったあと神告げ温泉で疲れを癒した。

夕陽展望苑にて


戸隠そば処一番人気店「うずら家」にて



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入笠山 (1,955m)

第148回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告

<実施日>
令和5年6月26日(月)

<天候>
曇り時々晴れ

<参加者>
22名 (男13名、女9名)
石村毅、内池久幸、越智 慎二郎、神崎修、喜々津一枝、関美紀子、菊田和子、木村慶子、久保庭啓一郎、瀬川恵、齋藤栄子、齋藤壽士、清水恵美子、瀬川健治、関美紀子、増田富一、舛本啓子、平田慎一郎、山口光朗、山田興太郎、横山正雄、喜々津和夫(山行リーダー)

<コース>

新宿(7:30)富士見(9:42)ゴンドラ山麓駅(10:30) 山頂駅・体操(10:55発)入笠湿原入笠山登山口(11:20)(12:00)山頂・昼食(12:40)仏平峠・八ヶ岳展望デッキ花畑(13:00)入笠湿原山野草公園(13:50)山頂駅(14:15) 山麓駅(15:00)富士見(15:29)新宿(18:05)

<歩行距離> 
4.9km

<山行報告>
梅雨の真最中で天気が危ぶまれたが何とか雨にも合わず「花の宝庫」入笠山(ニュウカサヤマ)を楽しんで来た。初参加の二名を含め、久しぶりの大勢の参加でにぎやかな山行になった。


ゴンドラ山頂駅広場にて


入笠湿原を望む・約300段の階段を下る


クリンソウ 


クリンソウの群生

スズラン群生地・入笠湿原・花畑を一気に通り抜け、ひたすら急坂を入笠山山頂を目指す。
予定より早く山頂に到着したが、残念ながら北・中央・南アルプスの360°の展望は見ることはできなかった。


入笠山 山頂にて


山頂での集合写真、何故か急にガスってしまった


花畑の中を下山


花畑での散策


花畑での散策


花畑の花の数々  アヤメ・キバナノヤマオダマキ    


ベニバナイチヤクソウ


最盛期過ぎたスズラン


ミヤマニガイチゴ 


シロバナノヘビイチゴ


ナンジャモンジャの木 ??


入笠湿原にて

入笠湿原には、レンゲツツジが咲きほこっていた。
入笠すずらん山野公園を経て予定どおり下山、ゴンドラに乗ると、やっと八ヶ岳連峰が望めた。
季節ごとに違う花を楽しめ又行きたいと思わせる山だった。


ゴンドラからの八ヶ岳連峰

一日一本のシャトルバスにて富士見駅へ、あずさ42号にて帰京。
新宿駅前にて有志により反省会を行い喉をうるおした。

(文:喜々津、写真:参加の皆さんからの提供)


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三頭山(みとうさん) (1,531m)

第147回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告
<実施日>
令和5年6月10(土)

<天 候>
曇り

<参加者> 
喜々津一枝、木村慶子、山田恭子、内池久幸、尾崎秀夫、喜々津和夫、瀬川健治、藤正彦(リーダー) 計8名

<集 合> 
8:10 五日市線 武蔵五日市駅

<コース>
武蔵五日市駅 8:15 西東京バス 都民の森 9:10 着 9:30発10:30見晴小屋 11:45三頭山西峰 12:05 避難小屋(昼食)12:35 14:00 三頭大滝 14:20 都民の森14:35 都民の森 14:50 数馬 16:55 温泉センター 17:45 武蔵五日市駅

<実歩程・歩行距離>
4時間15 分 8.3 km

<山行報告>
東京に梅雨明け宣言が出された直後で天候が心配されたが、幸い前日の天気予報は降水確率10%となり予定通り山行を実施できた。


バスが都民の森に近づくにつれ少し晴れ間が見えるようになり、富士山が見えるのではないかと期待して、準備体操後出発点で記念撮影をして山行を開始。






最初から急な登りのためゆっくりペースで進んでいく。




しばらく登ると関東屈指と言われるブナの天然林となる。




美しい新緑の中を山頂に向かうと、ちょうどヤマツツジが満開である。










ブナとヤマツツジを愛でつつ、ほぼ予定通りの時間に東峰の頂上に到着。






三頭山は三つの峰が連なっていることが山名の由来とのことで、この後標高が最も高い中央峰を通り、 山名石碑の立つ西峰へ。
晴れていれば富士山の姿が美しく望めるとのことであるが、あいにくの曇り空で展望はゼロ。
記念撮影後避難小屋まで移動して昼食とした。


雨こそ降らないものの、湿度の高い状態で暖かくなったせいかガスが立ち込めてくる。






当初の計画では尾根道を約2時間半降る予定としていたが、ルートを変更し都民の森を下山することとした。途中三頭大滝を経由し、出発地点に戻る。






数馬まで無料バスで移動し温泉へ。気温はそれほど高くなかったが湿気が多かったため、風呂で汗を流してさっぱり。ビールで喉をうるおした。
マイタケやコンニャクなど地元産の手作り料理が大変美味である。

眺望は全くなかったが雨には降られず、下山路を短縮し温泉にゆっくりつかって寛ぐことができた、と言うのが今回の山行の総括である。

文;加藤正彦 写真:瀬川健治、喜々津和夫、加藤正彦

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三つ峠山 (1,785m)

第146回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告
三つ峠は開運山、木無山、御巣鷹山の総称です。(山梨県)
富士山周辺にある眺望に優れた山の中で日本一と呼び声が 高いのが三つ峠開運山です。

<実施日> 
令和5年5月20日(土)


<天候> 
曇り

<参加者>  
喜々津一枝 木村慶子、山田恭子、内池久幸 、喜々津和夫、山田興太郎、五十嵐敏子 7名

<行程>
河口湖駅バス9:50登山口10:20開運山山頂12:20下山13:00 グリーンセンター着16:30三つ峠駅18:00~18:12発


<山行報告>
当初予定の5月13日(土)が雨天のため、次週の20日に変更しました。
健脚コースとして提案し、特に下山が長く帰りの電車を考慮すると、昼食時間を短縮して立ち休憩を多くしながら、水分とエネルギー補給をしました。








頂上までの階段は、きつくて辛い道でしたが、曇天の中を登りきってホッとした時一瞬、富士山の頂上がくっきりと現れて、歓びの歓声をあげました。


次のシャッターを押す頃は雲に覆われてしまいました。



”13時には出発します”と急がせる声がけをして昼食。


下山の初めは細く急な道がジグザグ続き、屛風岩のクライミング練習を横目で見ながら通過、
ピンクのミツバツツジが咲き誇る中を下ります。










そろそろ足が疲れたところで、やっと下山時間の三分の一、まだまだ長い。






にぎやかに見える八十八大師、馬返しから達磨石、あと一時間頑張って!






下山は3時間半、よく頑張りました。


16時30分グリーンセンターでお風呂に入り、17時ビールで乾杯と夕食

17時55分車で三つ峠駅に送ってもらう。
18時12分の中央線大月行きに余裕で乗車しました。

報告:五十嵐敏子
写真:喜々津和夫、内池久幸


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’22年度(令和4年度) 総会報告


山歩き会は4/21(土)2022年度の総会を練馬区役所20階の交流会場にて行いました。
出席者は24名でした。
総会は神崎総務GLの司会により、以下の議事内容で進められ、報告事項、審議事項に ついてはいずれも原案通り承認されました。














承認された‘23年度の役員体制は以下の通りとなりました。

会長(企画GSL) 加藤 正彦
副会長(総務GL) 内池 久幸
副会長(企画GL) 舛本 啓子
会計GL 喜々津 一枝、会計SGL 山田 恭子
総務SGL 五十嵐 敏子
企画SGL 木村 慶子
監事 久保庭 啓一郎

本年度の活動方針は以下の通りです。
 会員の安全、健康に充分留意する。
 多くの会員が参加できるよう様々なレベル、 趣向の山行を実施する。
  健康維持、健脚向け、地理歴史を学ぶ、季節の花を楽しむ、温泉、etc.
 全会員に活動への積極的な関与、提言をお願いする。

総会終了後、同じく区役所の20Fにある展望レストランにて3年ぶりとなる懇親会を行い大いに飲み、食べ、語って、盛会のうちにお開きとなりました。










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妙法ケ岳(1,329m 三峯神社奥宮)

第145回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告
<実施日>
令和5年4月16日(日)

<天候>
晴れ時々曇り

<参加者>
女性4名、男性5名、計9名
荒木正悦、五十嵐敏子、内池久幸、尾崎秀夫、越智慎二郎、喜々津一枝、木村慶子、清水恵美子、
神崎修(リーダー)

<集合時間 場所>
西武秩父駅改札口 8:15

<実行程>
西武秩父駅改札口8:15西武秩父駅(西武観光バスM4急行)8:309:45三峰神社—登山開始10:1010:35妙法ケ岳分岐10:4011:35妙法ケ岳山頂(奥宮参拝)11:4012:10昼食
[1] 三峰神社表参道下山組(5名) 昼食12:3013:00三峯神社(参拝)13:3014:45大輪
[2] 三峰神社よりバス組(4名) 昼食12:4013:30三峰神社(参拝)三峰神社バス停14:30
[1][2]の合流 15:07大輪バス停15:0715:45西武秩父駅16:56 解散

<山行報告>
当初は前日15日土曜日に実施予定であった山行であったが、あの「那須の三度」駄目男がリーダーを務める山行であったので、すんなり実現できるはずもなく、やはり、金曜日の朝には早々雨のための延期を決めて、しかも、予備日である翌日曜日も午後から雷雨等の天気の荒れも予想された。

そこで、当初の予定を変更し、今回の山行の最終目的地である妙法ケ岳山頂に登り、三峰神社奥宮参拝を先ずは行うことにした。
その後、三峯神社に下山後、体調と相談しつつ、希望者は神社の表参道を大輪まで下山することにした。



当日の参加予定者もほとんど好天の期待もしていなかったが、結果的にはシャクナゲの咲き誇る登山口からミツバツツジ、新緑、時々山桜を楽しみ、







午前中に晴天の中、参加者全員が階段、鎖場何のその、無事山頂に到達し、







山頂は狭く昼食休憩には不向きであったので、続けて、下山を開始し妙法ケ岳分岐近くの眺望が開けている広場で昼食休憩を取った。
下山の途中に冷たい風が吹き上げてきて、荒れた天気の前兆かとも思われたが、天気は崩れずに何とか晴れを保ち、その後は三峰神社から更に表参道を下山する組とバス下山組に分かれ、





大輪バス停で双方が合流するという結果的に見事なアレンジで、



皆一緒に西武秩父駅まで戻り、解散となった。
その後、飯能駅で途中下車して反省会を行ったことを付け加える。

報告:神崎修
写真:内池久幸、清水恵美子、越智慎二郎


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大平山(159m)
~古都鎌倉の山々を歩く・その2~

第144回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告
<実施日>
令和5年3月29日(水)

<天候>
曇りのち晴天

<参加者>
女性9名、男性10名 計19名
石川益巳、尾崎秀夫、加藤正彦、喜々津一枝、菊田和子、木村慶子、久保庭啓一郎、倉地利史子、小松袈伴、清水恵美子、瀬川健治、瀬川恵、関美紀子、舛本啓子、山口光朗、山田興太郎、横山正雄
五十嵐敏子(サブリーダー)、石村毅(リーダー)

<集合>
JR鎌倉駅東口鎌倉市観光案内所前 8:00

<実行程>
鎌倉駅東口鎌倉市観光案内所前8:00集合若宮大路8:20鶴岡八幡宮・源氏池8:308:40鶴岡八幡宮参拝鎌倉街道総門・三門・仏門9:20虫塚9:30半僧坊道半僧坊9:40富士見台9:5010:00勝上献地蔵堂・展望台10:10勝上山(147m)10:20十王岩10:30今泉台分岐10:40大平山(159m)11:00天園11:1511:30貝吹地蔵11:40北条やぐら群天園ハイキングコース出口12:0012:10凛林(昼食)14:0014:20鎌倉宮14:4015:00源頼朝の墓15:2015:40鎌倉駅・解散

<歩行距離・実歩程>
歩行距離約15km、歩行時間約3時間、歩数約2万歩

<山行報告>
3月中旬以降、いわゆる「菜種梅雨」という小雨続きの日々であったが、当日は横須賀線に乗車したとたんに厚い雲が切れ、日差しが車内に入ってきた。少々寒いが山歩きに向いた気温である。
鎌倉駅前は通学の若者が足早に歩みを進めているが、観光客などはまだ少数である。
中心地は早朝に抜けてしまうのに限る。
今日は、「古都鎌倉の山々を歩く・その2」として、鎌倉の最高峰「大平山」を中心とした「鎌倉アルプス」を19名で歩くことにした。
コースの説明の前に、新入会員の尾崎秀夫さんのご紹介、そして3月26日の練馬こぶしマラソンを見事完走した当会の加藤正彦さんに盛大な拍手を送った。

昨年12月の「その1」では、晩秋の「衣張山」を楽しんだが、季節は進み、春爛漫の鎌倉アルプスと神社仏閣を巡る企画とした。
鎌倉アルプスには、次の山々が含まれ、尾根伝いに渡り歩くことができる。
標高第1位大平山(159m)、第2位六國見山(147.1m)、第3位勝上山(147m)、第4位天台山(141m)、第5位鷲峰山(127m)、第6位衣張山(121m)
過去の当会山行で、山頂を踏破していない天台山と鷲峰山の山頂を、何とか踏みたいとの思いで歩き始めた。




この季節は桜それもソメイヨシノを抜きにしては考えられない。
それには、まずは若宮大路の参道に、等間隔に植えられた桜を愛でながら、二の鳥居から三の鳥居まで、約500mの「段葛」を歩く。
この段葛造りでは、実際よりも遠くかつ長く見えるように、道中が狭くなっていくように「遠近法」造りが採用されている。
この時代の街づくりに、このような工法を考えついた偉人がすでに存在したのである。




三の鳥居の先にある源氏池と平家池は、1182年に源頼朝の命により、水田を埋め立てて造成された。
若宮大路や太鼓橋なども同時に造られ、そこには、妻政子の安産祈願が込められていたと言う。




いよいよ鶴岡八幡宮に至る。
これからの参拝客のために巫女さんたちが参道を掃き清めていた。
清々しい雰囲気が醸し出されている。
2010年3月10日未明に突如倒れた樹齢1千年と言われる大銀杏は、神社関係者や専門家の努力で復活を遂げてきている。
一つは、倒れた大銀杏の幹が切断されて移植され、新しい枝が出ている。
もう一つは、大銀杏が倒れた跡の穴が埋められ、根から新しい芽が出てきており、その生命力には圧倒される。
各自が安全・安心の願いを込めて参拝した。




鎌倉街道に出て、一路建長寺へ向かう。15分ほどで建長寺総門前に到着。
五十嵐さんの指導で、準備体操を入念に行う。
総門から入山すると、目前に満開の桜並木が出迎えてくれた。
通常は大きな三門がすぐに目に飛び込むが、桜が満開となるとさすがの三門も見え隠れしてしまう。




建長寺は、1253年に鎌倉幕府第5代執権北条時頼によって創建されたわが国最初の禅寺で、鎌倉五山第一位に位置付けられている。
国宝や重要文化財が目白押しであるが、本日はゆっくり時間を費やす余裕がない。
鎌倉は7度の大火などで多くの重要な建物などが焼失したが、徳川幕府などの後援で再建復興されている。それは建長寺に止まらず、市内各地で多々見られる。


 建長寺境内を歩く途中に、「虫塚」と銘打った碑が建っている。
これは、2015年に養老孟司氏によって建立されたもので、命を奪われた昆虫を供養するための慰霊碑で、デザインはあの著名な建築家・隈研吾氏である。


建長寺の最奥へ続く半僧坊道を進むと、およそ200段の急な石段が待ち受ける。
息を切らせながら上がると、「半僧坊大権現」を祀るお堂が目に入る。
この大権現は半僧半俗姿の僧で建長寺の鎮守の僧である。
その大権現に仕えるのが12体のカラス天狗である。
この天狗の守護を受ければ、火災などの災害に遭わないと言われている。


半僧坊大権現より先には展望台が幾つか点在する。
富士見台からは富士山も眺められる。
また、相模湾見晴台からは、建長寺の全景から相模湾を眺望できる。


そして、建長寺のお堂で最高地点にある「勝上献地蔵堂」から急な石段を上がると、勝上献展望台に出る。
この展望台のすぐ先に勝上山山頂(147m)がある。富士山の方角には雲がかかり、お顔を見ることはできなかった。
その一段高台には、本日歩く「天園ハイキングコース」の案内板が出ている。


苔むした岩は、鎌倉防御のための遺構の1つと見られている。
幾度となくこういった地形を目にした。


「切通し」とまではいかないが、防御遺構の上に散った山桜の花びらが美しいコントラストを見せてくれ、往時を忍ばせてくれた。


「十王岩」までは10分とかからない。ここは鎌倉のパワースポットの1つと伝えられている。
風化が進んでいるが、3体の仏像が岩をくりぬいて造られている。
夜な夜な不気味な音を立てていたことから、「わめき十王」とも呼ばれている。
この岩の上からの眺望は、鶴岡八幡宮から海まで続く若宮大路が明瞭に見えて、神奈川景勝50選の1つにも選ばれている。






急こう配が続き、ロープを使って下る岩場も出てくる。
続いて少し登る箇所は、小さい切通し地形になっている。
幕府の防御策として大事な地形であった。




11時には鎌倉最高峰の大平山(159m)に到着。
晴天の中、ほとんど予定時間通り歩くことができた。
ここからの鎌倉市街や相模湾などの見晴らしは抜群である。




更に下って、貝吹地蔵や北条やぐら群を横目に見ながら、本日の山歩きコースの終着点に下りる。




12時過ぎには、お待ちかねの食事処“凛林”に到着。
茨城より移築した民家風建築物を使った落ち着いた雰囲気で、中国精進料理に舌鼓を打ちながら、本日の山行談義が滑らかに進んだ。




帰路は、明治天皇が創建した鎌倉宮に参拝。
市中いたるところで桜が満開の中を歩き、「源頼朝の墓」にも詣でて首を垂れた。
再び鶴岡八幡宮の境内を通過して、観光客であふれる中を、一路鎌倉駅へ向かい、本日の山歩きを解散とした。


四季折々の自然の変化を明瞭に見せてくれる古都鎌倉。その移り変わりに合わせて、歴史的行事が行われる。
自然と歴史が融合し新たな1ページが描かれる。その積み上げを我々は堪能させてもらっている。
今回の山歩きでは、天台山と鷲峰山の山頂踏破という課題を取りこぼしてしまった。
次への宿題としておこう。急ぐことはない。今後とも古都鎌倉の山々歩きをゆっくりと続けて行きましょう。

報告:石村毅
写真:石川益巳、加藤正彦、石村毅


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湘南アルプス(高麗山168mほか)

第143回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告
<実施日>
令和5年2月18日(土)

<天候>
晴れ

<参加者> 
16名(男性10名、女性6名)
石村毅、内池久幸、喜々津和夫、清水恵美子、瀬川健治、山田興太郎、加藤正彦、久保庭啓一郎、越智慎二郎、喜々津一枝、小松袈伴、瀬川恵、山田恭子、横山正雄
木村慶子(サブリーダー)、舛本啓子(リーダー)

<集合>
9:00 東海道本線 平塚駅改札口

<コース>
平塚駅 9:18 発神奈中バス9:26 花水着高来神社 準備体操 9:50 出発10:25高麗山11:00浅間山11:25湘南平(昼食)12:30横穴墓群見学13:30高田公園13:50大磯駅

<実歩行時間・歩行距離>
約 3時間30分、約5.1㎞  

大磯駅の北側に位置する高麗山~八俵山~浅間山~湘南平を縦走する低山ハイキングコース。
平塚駅発のバスに乗り、登山口の高来神社まで10分程度です。


まずは神社の境内をお借りし、準備体操で体をほぐしてから出発です。




高麗山山頂までは男坂と女坂の2コースがありますが、女坂を進みます。
山頂までは30分程度ですが、途中から左手に大磯の町と相模湾が見渡せました。


あっという間に、標高167mの高麗山頂上に到着です。


アップダウンを繰り返しながら、八俵山を通過し、気持ちの良い尾根道をたどって浅間山へ。






足元には水仙の群生が、見上げると、白梅のほか早咲きの桜も楽しめました。


浅間山山頂にて記念撮影。


浅間山から10分程度でテレビ塔のある湘南台に到着し、ここで昼食休憩にしました。


湘南平の展望台からは富士山はもちろん大山など丹沢の山々も一望。


富士山頂に雲がかかっているのが少し残念ですが、富士を背景にした集合写真です。


昼食を済ませたあと、途中、揚谷寺谷戸横穴墓群に立ち寄りました。
ここは、古墳時代後期(7~8世紀頃)造られたと推定される横穴墓群で、4段にわたり
横穴墓が21基確認されている。平面型と天井形態が異なる横穴墓が混在。珍しい家型もある。







アップダウンを繰り返しながら、高田公園を目指して歩きます。


高田公園にて、相模湾を背景に記念撮影。


大磯駅へ向かう下り坂の道中からは、相模湾を一望、黄金色に輝く見事なミモザの花にも出会いました。




大磯駅近くの、ちょっとおしゃれでレトロな「茶屋町カフェ」にて、大磯地ビールなどで軽く反省会。
厳しい寒さが続いた2月でしたが、この日はポカポカ陽気ですっかり「春」を満喫できた一日でした。

計画当初、立ち寄りを予定していた大隈重信の別邸などがある明治記念大磯邸園は3月末まで改修工事とのことだった。
登山道では案内標識が不十分なところもあったが、コースはよく整備され、危険個所には手が入っており概ね安全に歩ける。
低山ハイクではあるが、累積では400mのアップダウンで、それなりの高低差もある。
縦走路では今回は水仙、梅、早咲きの桜などが楽しめたが、よく手入れがされている様子で、季節に応じた多様な植物を楽しめるらしい。
季節を変え、整備が終わった大磯庭園や県立城山公園なども含めたコースでまた訪れたい。

報告:舛本啓子  写真:舛本啓子、加藤正彦


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ミスター富士山が富士山を語る講演会

練馬稲門会 2023新春の集いにて
ご報告
<実施日>
令和5年2月12日(日)

今年は練馬稲門会創立45周年。これを記念して山歩き会は2月12日の午後3時からココネリ大ホールで記念講演会を開催しました。


講師は富士山登頂の日本記録を登るたびに更新しているMr.FUJI-SANこと實川欣伸(じつかわよしのぶ)さん。




コロナ禍での気晴らし登山が増え、それも里山での遭難件数が増えていることを考慮し、当会は一般の皆さんにも練馬区報で参加を呼びかけました。
その結果、当日の外部の聴衆は前川練馬区長ご夫妻をはじめ、60余人に及び、稲門会員を含めて合計120人を超える賑わいとなりました。


講演は質疑時間を含めて90分。富士山にすでに2157回も登頂した實川さんのお話は、(海外の山々登頂を含めて)全て実体験に基づくものだけに会場の皆さんは熱心に聴き入りました。
質問の時間も、専門的な角度からは関口嗣男さん、基礎的部分を舛本啓子さんが準備していました。が、一般の方から次々と質問の手が上がり、有益活発な質疑が展開されました。


特に、一般の登山指導書の内容とは違ってご自身の体験に基づく實川さんの説明、答弁の主なものをざっと挙げてみます。

纏富士山の登山よりも里山登山の方に危険が多いと思って取り組んでください。準備も、気構えも気を抜かずに。

登山の休憩は5分以内を意識しています。歩きのペースを崩さないで済むと思います。

ベテランとか専門家と言われる人が、個別具体的な目の前の問題について正しい方策をアドバイスできているかどうか。
尋ねる方の皆さんも十分よく考えて聞かねばならない。判断は自己責任で下すものです。

海外のアルピニストの登山は、ベストシーズンのみの登山です。しかし日本では様々なシーズンに登山します。
その場合、日本の山は天候次第でガラリと別の山に変わる。これをよく考えてください。
ピクニックで楽しんだ山が、天候次第で遭難する山に変身することはよくあることです。

呼吸はもっぱら口をすぼめてヒュ!ヒュ!と吐くことを心がけています。

登山にかかわらず、「夢」を持つことが大事だと思います。
ーーなどなどでした。聴衆の皆さんは、それぞれご自分の腑に落ちた部分を大切なお土産として持ち帰られたことと思います。
(久保庭啓一郎)



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沼津アルプス (徳倉山 256m)

第142回 練馬稲門会山歩き会 山行
ご報告
<実施日>
令和5年1月21日(土)

<天 候>
曇り

<参加者> 
喜々津一枝、木村慶子、清水恵美子、瀬川 恵、山田恭子、石村 毅、内池久幸、越智慎二郎、
喜々津和夫、久保庭啓一郎、小松袈裟、山田興太郎、横山正雄
瀬川健治(サブリーダー) 加藤正彦(リーダー)  計15名

<集 合> 
8:15東海道本線 沼津駅南口改札

<コース>
はまゆう前 登山口 9:07 志下坂峠9:45 10:45 徳倉山(昼食)11:2012:30 横山14:00香貫山展望台14:30 香稜台

<実歩程・歩行距離>
4時間30分 8.3 km

<山行報告>
本年最初の山行を「沼津アルプス」にて行いました。
行きの新幹線の中からはきれいな富士山の姿が見えました。天気は良好です。
沼津駅からバスに乗り、御用邸の先で下車。登山口で入念にストレッチを行い、出発です。









今回の山行には2/12(日)の「新春の集い」の前に講演会を行っていただく 富士山を2,000回登った「MR. FUJISAN」こと實川欣伸(じつかわよしのぶ)氏も特別参加されました。氏は沼津市在住です。
登り始めからやや急な斜面で稜線に出た後、ロープを使う急登となります。
途中の千金岩からは伊豆の海が見渡せます。

















再び急登を乗り越えると本日の最高点 徳倉山(256m)の頂上です。ここで昼食としました。
晴れていれば富士山が美しく見えるポイントですが、残念ながら雲に隠れています。
代わりに(?)MR.富士山との記念写真を撮影しました。









昼食後、今度は鎖場の急な下りです。滑り落ちないように慎重に降りていきます。













途中海の眺めが良いところを通り、再びロープを使う急な登りを経て横山(183m)の頂上です。







再び急な下りの後、沼津アルプス北端の香貫山へのダラダラとした最後の長い登り。
展望台からの富士山はやはり雲の後ろに隠れていますが、駿河湾がキレイに見渡せます。









こうしてキツイ登り下りで疲れた後は、本日のもう一つのメインイベント、沼津港へ。
キンメダイ他美味しい魚を堪能しつつ、新年の反省会を行いました。
反省会を終え、港の堤防に出ると丁度日没時間となり、水平線に沈む美しい夕陽を見つつ長い一日を終えました。











最後に参加者の方からいただいたメールを紹介させていただきます。
沼津アルプス三山は想像していた以上に険しい山道でしたが、幸い、落石も滑落、転落もなく持参したヘルメットは物理的には役に立ちませんでしたが心理的な効果は絶大でした。
個人的にはロープと鎖をフル活用した徳倉山、横山よりもダラダラと登り道が続く香貫山の方がキツかったですが、「武田丸本店」の料理と波止場からの夕陽で一気に疲れが吹っ飛びました。
今回は「山高きがゆえに尊からず、低きがゆえに易しからず」を実感する山歩きになりました

写真:久保庭啓一郎、喜々津和夫、内池久幸、瀬川健治、
報告、写真:加藤正彦


ご案内
令和5年最初の山行は、新春の富士山を眺めに沼津アルプスを訪れます。
寒さが最も厳しい時期でも温暖な地にあり、標高は低いものなかなか登りごたえのあるコースです。
なお希望者には、終了後沼津港で美味しいお魚を食べる会も設定します。

< リーダー/サブリーダー>
加藤

<日時>
令和5年1月21日(土) 雨天順延 1月22日(日)

<集合>
東海道本線 沼津駅南口 8時15分集合 
東京駅 6:57 こだま703号 三島7:50 三島 7:59 沼津 8:04

<行程>
沼津駅 8:25 発 東海バス8:45 はまゆう前着 準備体操 9:00 出発10:00 志下坂峠10:10 徳倉山11:00横山12:30香貫山(昼食)13:10 沼津駅15:00(解散)
実歩行時間・距離   約5時間15分、約 6.8㎞
  
<地図>
昭文社 山と高原地図 1/80,000 伊豆・天城山

<交通費等>
参加費 500円 東京–沼津(新幹線自由席利用)片道4,600円

<持ち物>
日帰りハイキングセット、昼食 以下必携 水分、雨具、地図、コンパス、ヘッドランプ

<申し込み・問い合わせ>
申し込みは、令和5年1月19日(木)まで。問い合わせは加藤Lまでお願いします。

沼津アルプス紹介
https://www.city.numazu.shizuoka.jp/hiking/alps/




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