歴史ウォーキング部  横浜・山手歴史散歩
・・・幕末・横浜に英仏軍が駐屯していた 
2023年11月例会

2023年11月28日(火)、歴史ウォーキング部は11月例会「横浜・山手歴史散歩」を実施いたしました。13時に地下鉄元町中華街駅の5番出口に16名が集合。いつもより参加者が少ないようだったが、皆時間に遅れず元気な顔をそろえました。最初にアメリカ山公園にて八巻部長から今日の行程などの説明を受けていた時、通りかかった5~6名の我々と同じ年恰好の男女が立ち止まり、「群馬から来られたのですか?」と声をかけられた。幹事の一人が掲げていた団旗を見て練馬を群馬と見間違えたようだった。この一行も早稲田のOBということもあって笑顔で挨拶。何処に行っても早稲田OBは多いし、それだけで親しみを覚えてしまうのだからすごい。

まずは外人墓地を見ながら港の見える丘公園へ、ここはもともとイギリス軍の駐屯地で、文久3年(1863)から明治8年(1875)の12年間、多い時は2000名の兵士が駐屯していた。駐屯の目的は攘夷運動が激しい時代に居留民を保護するためではあったが、それだけではなく薩英戦争、下関戦争にはここからも一部兵士が出撃したというから驚きますね。

ここから横浜の港を遠望してから当時の様子を偲ばせる建物を巡りました。山手234番館、エリスマン邸、べーリックホール、横浜イギリス館、山手11番館。そして最後の見学地はフランス軍の駐屯地であったフランス山、最盛時は1500名の兵が駐屯していた。当時フランスは徳川幕府の要請で陸軍を育てるためのエリートの軍事顧問団を送り込んでいた。その中でブリュネ中尉は特に有名になった。この人物こそ映画「ラストサムライ」のトム・クルーズ役のモデルというので、この映画を見た人なら当時のフランス山が想像できますね。

以上で例会はすべての行程を終え、いよいよお楽しみの懇親会へと横浜中華街へ繰り出しました。懇親会参加者は17名、龍門新館で大いに食べて飲んで盛り上がりました。
河井洋介


2023.11.28. 横浜山手歴史散歩「港の見える丘公園にて」


「龍門新館での懇親会」



 


歴史ウォーキング部  早稲田かいわい歴史散歩  2023年10月例会

2023年10月30日(月)、歴史ウォーキング部の10月例会で「早稲田かいわい歴史散歩」を八巻部長の案内で行いました。この日は長く続いた猛暑もすっかり遠のき、美しい青空が広がる実に気持ちの良い秋日和でした。この企画は当初練馬稲門会第45回総会に会わせ7月9日(日)に実施する予定でしたが、天候不順のため急遽中止となってしまったのです。それだけに10月例会がこの素晴らしい天気の中でやれたのは幸いでした。

当日の参加者は21名、午後1時に地下鉄副都心線西早稲田駅に集合し、まずは戸山荘を訪れました。日本史上最大の庭園といわれるこの戸山荘(戸山御屋敷絵図添付)は徳川御三家の筆頭の尾張藩の下屋敷であった。その面積は広大で約13万坪もあり、その中には早稲田文学部も含まれる。庭園内には、当時の小田原宿をそのまま模した様な36軒の店があり、店員がいて実際の銭で買い物もできたので、当時市井に出歩けない将軍もしばしばここを訪れて買い物を楽しんだという。宿場町の大池の反対側には人工の築山があった。これは今の箱根山で標高45m、山手線の内側では最も高い山である。

次に訪れたのは穴八幡神社。 早大OB,OGならば知らいない人はモグリに違いないほど懐かしい神社だが、今回訪れてすっかり立派な社殿に変わっていました。建物も派手な朱色に変わっており、50年前の記憶とはいささか異なった印象でした。神社の入口の階段で撮った集合写真を添付しておきます。

穴八幡神社を後にして次は高田馬場へ。今では高田馬場といえば山手線の高田馬場駅付近を指すが、地名発祥の地はグランド坂上から早稲田通りの東側の小路付近一帯で、名残の馬場跡がまっすぐの道となって残っている。確かに馬場があったのだなと実感できる風景でした。

馬場跡を少し下ったところに水稲荷神社があった。1961年(昭和31年)まで現在の早稲田9号館付近にあったが、その後現在の場所に移転された。境内には同時に移転された富士塚も見られました。

水稲荷神社をさらに下り、徳川御三卿の一つ清水家の下屋敷の庭園甘泉園を訪れました。回遊式の庭園で、現在の広さは4千坪以上、ひょうたん型の池「山吹の井」や「三島山」という築山がある見事な庭園でした。だけど、参加者21名のうち園内をつぶさに見て回る人は半分足らずで、あとは長いウォーキングに疲れてか、東屋に腰を下ろして池を見ながらおしゃべりとなりました。午後4時、以上で本日の全行程を終了し、この後は楽しみの清瀧へと移動となりました。

写真提供 高嶋俊郎、 文 河井洋介









 


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第63回歴史ウォーキング  トキワ荘マンガミュージアムを歩く 


ご報告
令和5年(2023年) 4月14日(金)
絶好のウォーキング日和の中、第63回ウォーキング例会トキワ荘マンガミュージアムを歩くを開催致しました。

13:00頃 今日の参加予定者18名全員が揃い、八巻部長のコース等の説明があって、出発する。
第一の訪問場所は、トキワ荘の住人で世話役的存在だった寺田ヒロオのヒット漫画「背番号0」に因んで作られた「ゼロくんモニュメント」、立派な石造りのものを想像していたので、探すのに苦労してしまった。掲示板にポスターが貼ってあるだけだった。
なるほどと思いながら、スポーツ公園を通り抜けて、トキワ荘通りに出てトキワ荘公園に着く。
入口脇にある「トキワ荘のヒーローたち」と言う記念碑の前で八巻部長の説明があった、トキワ荘が何故漫画家たちの聖地として有名になったのか、手塚治虫氏を始め主要な住人達がここで若い頃創作活動をしたこと、ここの住人ではないものの都内に住んでいて通って来ていた漫画家についても話を聞くことが出来ました。

続けて、当時の漫画ブームの影響を受けてか、漫画家になることを目指していた坂本成さん(昭和43年理工学部卒)のリアルな実体験談を聞くことに、昭和30年雑誌社の作品応募に入選した坂本さんは懸賞金の代わりに手塚治虫先生に会うと言う手紙を受け取り、喜んで応諾したのだが、手塚先生には会えなかったものの、まだ若かりし頃の赤塚富士夫、藤子不二雄、馬場のぼるさんなどと一緒に車座になってお話をされたそうです。その後大病を患い漫画家としての道は諦めたそうですが、当時のトキワ荘を知る貴重な話を聞くことが出来ました。

14:10分頃 復元されたトキワ荘を見学する前に、当時のトキワ荘が建っていた場所を見に行くことに、5分ほど歩いて路地を入った所に記念碑だけがあって、当時を伺えるものは何もなかった。

トキワ荘公園に戻り、復元されたトキワ荘を見学する。昭和27年(1952年)に建築されて、昭和52年(1982年)老朽化のため惜しまれながら取り壊されました。
強い復元の要望を受けて、豊島区は区立の公園内に、当時の様子を出来るだけ忠実に復元したものが今のトキワ荘です。
漫画家さんは2階に住んでいたので、階段に上がると、今にも匂いが漂ってきそうな男女共用トイレ、隣の台所は昭和30年頃がリアルに再現されている、ガス栓からゴムホースが各自のガスコンロに繋がれている。
居室も作業室も一緒だったのだろうが、きれいに整理された4畳半の部屋が廊下の両脇に並んでいた電気、ガス、水道は開通していたのだろうが、電話は公衆電話しかなかったようです。
70年前の様子を見せられて、隔世の感じがしましたし、昭和の息吹を感じました。
15:00頃 感慨を一入にして解散しました。


ゼロクンモニュメント


トキワ荘公園入口


トキワ荘のヒーローたちの碑
左上から、寺田ヒロオ、藤子F富士夫、藤子不二雄A、鈴木伸一、守安なおや、
中心に、手塚治虫、
左下から、石森章太郎、赤塚富士夫、水野英子、よこたとくお


実体験を聞く参加者


トキワ荘跡地


トキワ荘正面


トキワ荘前での集合写真




 


武蔵府中歴史散歩  2023年3月の例会
・・・武蔵国の首都を歩く・・・

ご報告
今年に入り2回目の例会として、”武蔵府中歴史散歩” を3月20日(月)に行った。
この日は快晴かつ温暖に恵まれ、参加者27名1万歩を越す行程を難なく踏破した。
府中という地名は古代の行政単位の一つである武蔵国のいわば県庁所在地から来ている。
全国に60数か国の「国」にはそれぞれ府中があり、山梨の府中は甲斐府中で甲府、駿河府中は駿府、長門府中は長府の名が残っている。
ここ武蔵府中は武府とは言いづらいので府中のまま残ったのではといわれている。

さて、最初に訪れたのは熊野神社古墳で7世紀前半頃に築造された古墳。
下が方墳で、上が円墳という珍しい古墳。現在の姿は発掘されて判った形に復元されたもので、被葬者は武蔵の国の有力な役人であろうといわれている。
ここから甲州街道に沿って府中本町までの間で分倍河原の古戦場跡といわれる地域を巡り、その後鎌倉街道との交差点あたりで江戸時代の高札場を見て高安寺へ。

広大な敷地に建物が並ぶ高安寺は起源を平安時代までさかのぼるという。
室町時代になり足利尊氏は国ごとに安国寺を定めたが、武蔵国では高安寺が武蔵国安国寺となった。
鎌倉公方の陣所でもあったことでも知られている。

15時半頃、大国魂神社(おおくにたまじんじゃ)に着く。
武蔵国の総社で、武蔵国の有力な六つの神社を合祀しているから、六社宮ともいわれている。
ここの敷地と一部重なったところが武蔵国の国府跡で、国衙(こくが)があったことが近年分かった。
なお、国司とは武蔵国の長官で武蔵守である。京から派遣され国司館で居住し、国衙でその国の政治を行った。

午後1時10分に南武線西府駅前をスタートして午後4時過ぎに予定の歴史散歩は終了した。
八巻部長の案内による今回の史跡巡りは、歴史的背景の詳細な説明に基づいて各史跡が語られるため、府中の歴史が大変身近なものになった。

写真提供 高嶋俊郎、中山典美  文 河井洋介


高安寺本堂にて記念撮影


熊野神社古墳


高安寺山門


大国魂神社


武蔵国府の国司館復元模型