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練馬稲門会 エッセイ同好会2月度(第115回)報告

能登半島の大地震と羽田空港の航空機事故で波乱の幕開けとなった今年、初めての例会に16名が集合し持ち寄った作品を力強く発表した。その概要は次の通り。

日時  2024.2.17(土)14:30~16:40
場所  生涯学習センター第2教室

出席者及び作品(敬称略)
 石田真理  健康な生活
 岡本龍蔵  日本ハムのシャウエッセンはドイツ人の舌にも合うか
 加藤厚夫  ヒジャブに学ぶ
 古藤黎子  私の「会社遍歴」その3
 小林康昭  天皇誕生日
 鈴木奎三郎 四季の記憶98 めぐる季節
 髙橋正英  みかんの花咲く丘
 寺村久義  遺言
 照山忠利  「もし」がとれたら
 富塚 昇  古き良き時代の都立高校の話
 鳥谷靖子  太陽の香り
 華岡正泰  忘れ得ぬ日々
 古内啓毅  舟唄
 星野 勢  賀状の今昔
 松本 誠  稲門ライオンズクラブ
 渡邊訓子  くまざわ書店「ブックイベント」奮闘記【前編】

反省会
例会終了後、有志(10名)で「香港亭」にて酒を酌み交わしつつ談論風発、今後の運営等について意見交換を行った。記念旅行の実施について提案あり、検討することとした。

次回例会
4月20日(土)14:30 生涯学習センター教室を予定)
(照山忠利) 



 



天皇誕生日

小林 康昭  240217

 昭和21年に満洲から引揚げてきて、小学校に通いはじめました。すると、4月29日に学校がお休みになりました。満洲でも天皇誕生日を天長節と言って、役所や学校ではお祝いしていたのですが、学童期ではない子供には無縁の存在でした。それで、同級生に訊きました。「何で学校がお休みになるの?」「天皇陛下の誕生日だからだよ」天皇の生まれた日が休日になるのに、私は(そうか、天皇は休日に生まれたんだ)と理解しました。知ったかぶりをして「天皇陛下は休日に生まれたんだよ」とみんなに吹聴しました。それを聞いていた同級生たちが「満洲から引揚げてきたアイツ、変なこと言ってるぞ」と馬鹿にされてしまいました。地元の子供たちは、何かにつけて引揚者を馬鹿にしていたので、このために私は、いじめのネタにされてしまいました。
*  *  *
 天皇陛下の存在は、私なりの思い入れがあります。それは、引揚げのときの父親の言葉です。昭和20年の8月、ソ連軍が北の国境を越えてやってきたので、日本人たちは「みんな、内地に引揚げるんだ」と慌ただしく身支度をして引揚列車に飛び乗りました。そんなことをしているのは日本人だけで、遊び友達だった満人、シナ人、朝鮮人の子供たちは、引揚げなんかしない、今まで通りずっとここに居る、と言っています。それで、父に訊きました。「どうして僕たちだけが内地に引揚げるの?」父は答えに窮して黙っていましたが、やがてボソリと「日本人は天子さまがいらっしゃる内地に帰るんだよ」と言いました。天子さまとは、明治生まれの父たちの世代では、天皇陛下のことを指していました。
 天皇陛下の赤子である日本人は、満人、シナ人、蒙古人、朝鮮人よりも優れているのだ、と絶えず聞かされて育ちました。だから、その連中に対して優越感を持って育ちましたが、日本人が色を失って右往左往しているときに、平然としている彼らを羨ましく思いました。
 引揚げてきて、信州の山里に落ち着きましたが、天皇陛下がどこにも居りません。それで「ねぇ、どこに天皇陛下が居るの? 天皇陛下を見に行こうよ」と父をせっつきました。父は困った顔をして「天皇陛下は東京の宮城にいらっしゃる。こんな田舎になんか来てくれないよ」と弁解していました。
 しばらくして、天皇陛下が信州にもお出でになりました。父は引揚者の代表の一人として、天皇陛下がお出でになる場所に私を連れて行ってくれました。大勢の人たちが整列している前に立っておられる天皇陛下を、父は私を肩車にして、ながめさせてくれました。天皇陛下は、遠くに小さな黒い影のように立っていました。お顔の様子はわかりませんでした。引揚げからおよそ一年、これで、私の引揚げの気持ちの整理がついたと言えます。
*  *  *
 大学生時代の昭和35年の春休みは、地下鉄日比谷線の建設工事現場で、アルバイトの仕事をしておりました。2月23日、皇太子と美智子妃のお子様の誕生が報じられました。そのニュースを私は、現場の社員食堂のテレビで知りました。名付けて浩宮様の誕生です。その時、私は19歳9か月でした。昭和天皇から平成天皇に引き継がれた皇位が浩宮様に引き継がれるとき浩宮様は70歳を超えているだろう。となると、浩宮様の天皇陛下の姿を見ることはないのかも、と思っていましたが、浩宮様の天皇陛下の姿に、感慨を新たにしております。
*  *  *
 政治家、官僚、学者、ジャーナリストたちなどの要人の年齢が、自分より若くなってくると、彼らが社会的に重要な問題について交わす論調が、軽率かつ軽薄に感じられることがしばしばあります。
 例えば、皇位継承の問題です。浩宮様が皇位を継承された次には、皇弟の秋篠宮さましかいない。今後、どうしたらよいのか、委員会を設けて総理大臣を中心に、議論を進めるはずでした。
ところが、秋篠宮さまに男児が誕生すると、その途端、議論を止めてしまいました。この問題を遡ると、終戦直後の占領政策に行き当たります。占領軍は、天皇制を利用はするが支持はしない、として直宮以外のほかの宮家を廃してしまいました。彼らの魂胆は、皇室皇族の自然消滅だったのでしょう。その後、国は廃された宮家を皇族に復帰する手立てを尽くしませんでした。その結果、秋篠宮をのぞく宮家のすべては、占領軍の思惑通り、やがて終焉を迎えます。議論すべき問題は解決していないのに、この有様は情けない限りです。
*  *  *
 個人的な印象ですが、現代は歴史的に最も皇室皇族を露わに扱っている時代に思われます。ジャーナリストにその原因がありますが、皇室皇族に敬意を抱かず、興味本位で受け止める人々にも原因があると思います。
 天皇制は、先の敗戦で危機に曝されました。国が敗れれば国民の信を失って、王位皇位を剥奪され、場合によっては命も失うことは歴史的必然でした。ところが、日本はそうなりませんでした。昭和20年代、天皇が赴くところ、敬愛の情を示した人々が大勢、会場を埋め尽くし、占領軍を驚かせました。天皇陛下は嬉しかったと思いますよ。国民の信をつなぎとめれば、とのその時のお気持ちは今、全皇族が共有しているはずなのです。
 ですから、皇族の国民に対するお気遣いは痛々しいほどです。行き過ぎて、鬱などにならないかと心配になります。ジャーナリストや一般の人々は、それに付け込むことがないように、心して欲しいと思います。


                                       


 



古き良き時代の都立高校の話

富塚 昇 2024年2月17日

 私は1983年に都立高校に採用されて教員生活をスタートさせました。2024年3月末で41年が経過することになります。60歳で都立高校を定年退職した後も再任用教員として3年間勤め、その後、都立高校の非常勤教員になるとともに、私立男子高校で非常勤講師として勤めています。
 私が試験を受けた東京都の高校で社会の「政治・経済」という科目での合格者は13人だったそうです。当時は教員という職業は、休みが多い仕事の代表と思われ、また、一般の公務員よりも給料もよいと思われ、それなりに人気があり、私が受験した「高校」の「社会」の倍率は10倍は超えていたと思います。運良く合格し私が最初に勤めたのは都立荒川工業高校という学校でした。当時、工業高校では、国語、数学などの普通教科では新規採用の若い教員が多く、電気科、電子科などの専門教科ではベテランの教員が多いという教員構成でした。
 昭和の古き良き時代で、私は1年目の夏休みに入る前に、当時の事務長が「先生方、夏休みには1日は出勤してください。そうしないと通勤手当が出ません」と言ったことを覚えています。今では考えられないことです。昔は、公務員攻撃もなく「先生」は偉かったのでそのようなことが許されたのでしょう。ちなみに現在、私は都立高校の非常勤教員ですが、授業がない8月に16日間出勤します。
 私は2年目から電気科のクラスの担任となりました。各学期の終業式が終わると、電気科の職員室から呼び出しがかかります。電気科のベテランの先生から「お前の担任としての仕事はなんだ!」などと怒られる訳ではないのですが、「おい、電気科の担任なんだから、しっかり飲め」という感じで、職員室で学期ごとの納め会が始まります。電気科のベテランの先生は、お酒が回ってくると「おい、校長を呼べ」ということになり、校長ももちろん参加し、昼間からしっかりお酒を飲んでいました。もちろんそこでの話題は生徒のこと、生徒への指導はどうあるべきかということでした。ちなみに現在は「学校」でお酒を飲むことは厳禁です。そういえば私が採用されたときの荒川工業高校の校長は、調べたところ1968年まで設置されていた夜間の早稲田の第二理工学部出身でした。
 普通教科の教員は若い教員が多かったこともあり、よく飲みました。工業高校でやんちゃな生徒が多かったこともあり、授業をいかに成立させるか、中退する生徒をいかに減らすことができるかなど悩みはつきません。そんなときに、同世代か少し上の世代との、ちょっと寄っていく機会はとても貴重な時間でした。そして、昭和の時代には当たり前だった飲み会も、平成の時代にはかなり減ってしまいました。そして、21世紀になると、学校では「ちょっと、軽く寄っていこうよ」という感じのゆとりはなくなり、気がついたら、公立学校の教員はブラックな仕事の代表といわれるようになってしまいました。
 教員の採用試験の倍率は、今、昔に比べるとかなり低くなっているようです。これまでの41年を振り返ってみると、私はとても恵まれた教員生活を送ることができたから言えるのですが、今は引退しましたが部活の指導は楽しかったですし、今でも授業に向かうときには緊張感があり、授業をうまく終えることができると達成感があります。そんな教員の人気が復活するような社会になってほしいものです。


                                       


 



ヒジャブに学ぶ

加藤 厚夫 2024.2.17

 喉元過ぎれば熱さを忘れると言う通りもうすっかり忘れてしまったのが昨年の酷暑だ。一年の4割が夏で7月から64日間連続の真夏日、8月は連日30℃超えだった。10月に入っても気温激変の繰り返しで衣更えが出来たのは11月中頃であった。もはや地球温暖化ではなく地球沸騰化だと国連事務総長はおっしゃった。そんな灼熱時代でも毎日テレビで目にするのがイスラム教国女性の風呂敷を被った姿だ。ヒジャブというらしいがあんなものを裸でも暑い国で強制されるのだから堪らない。しかも襟巻までさせられているからその熱さに狂ったイラン女性たちの反対デモが頻発している。しかも着用を監視する専門部隊道徳警察があるというから始末が悪い。反対デモに参加した女性たちは牢獄で鞭を打たれ殺されることもしばしばだという。これら未開イスラム教主導の女性たちは政教分離が永久になされぬのでこの仕打ちに一生耐え抜かねばならないのだ。
 これに似た過酷な服装を強要する国がもう一つある。まさしくそれは日本国だ。寒風吹きすさぶ真冬の朝、通学する女子中高生たちのあの凄まじい制服姿だ。ミニスカートに猿股一丁、そのうえナマ足といういでたち。我々腿引きを履いていても震えて居るのになぜそれを強制するのか理解に苦しむ。なかには乾燥で足に粉が吹き真っ白な足をしている子もいる。これこそ日本版ヒジャブだ。これがどれだけ若い娘たちの健康をむしばんでいるのかに気付いていないのが、当の文科省と厚労省だ。なぜ制服にこだわるのかと問えば返って来る決まり文句、どの家庭の子供も平等に同じ服装で通学できるし校則がそうなっているからだと。ならばせめてパンストとルーズソックスを履かせるとかズボン着用の選択制にすれば済むことだ。それもダメなら貧困家庭に洋服購入代を補助すれば済むことだ。この冬ヒジャブを止めれば700万人もの女子生徒が救われるのだ。子供の頃からこれだけ体を痛み続ければ当然生理不順や生理痛が常態化し、成人すれば慢性冷え性、不感症、不妊症さらには子宮頸がん、更年期障害を患うことになる。
 厚労省はこれにかかる莫大な医療費を試算したことがあるのだろうか。しかも一番オシャレをしたい年代の女の子たちは好きな衣服を買う必要をあまり感じないから、今や全国のスーパーの衣料品は全く売れず閉店に追い込まれている。岸田総理が景気回復は賃上げが最重要といくら叫んでみてもその大本、消費拡大=企業利益が伴わなければ実現しない。
 いっぽうわが国には男ヒジャブも存在する。高校球児の丸刈りの強要だ。いまだに旧帝国陸軍の亡霊伝統に取り憑かれているのだ。だからいまだに根性を入れ直すと言ってはビンタを喰らわすしプロ野球界ではもっと先進的である。チーム先輩が後輩の一物を丸出しにさせ逆立ちを強要、そこに靴下を被せるという。こうなるとパワハラではなく・・ハラだ。日本国民350万人の命をうしなわしめた無能帝国陸軍伝統をきっぱり改めたのが昨年優勝した慶應高校だ。頭の硬い高野連連中も坊主にしたらとも聞こえた。しかし老い先短い我々はそんなことにかまってはいられない。一日三度もヒジャブを着替えねばならぬ異常気象下で生き抜かねばならない。ただ頭の方は自然と丸坊主になるから心配ない。


                                       


 



「もし」がとれたら

照山 忠利 2024.2.17


 いま、「もしトラ」という妖怪が世間を徘徊している。11月の米大統領選において「もしトランプ前大統領が再選されたら」ということ。その場合に起こりうる悲劇的な出来事を想定して、ある種のおぞましさと恐れをもって語られている。
 大統領選は予備選が始まったばかりだが、民主党は高齢のバイデン現大統領の指名が確実で、共和党はトランプ氏がアイオワ、ニューハンプシャーで連勝、対抗馬となる候補は姿を消そうとしている。本選は結局4年前と同じバイデン、トランプの一騎打ちとなる公算が大きく、認知症気味のバイデンの劣勢が伝えられている。「もしトラ」のもしがとれて「本トラ」となったらどうなるか。ウクライナへの支援打ち切りで戦況は一気にロシア有利に傾くだろう。ウクライナが敗れれば1千万人の難民が西欧諸国に流れ込むとの予測がされている。NATO加盟国でGDP2%以上の国防費を負担しない国には米は防衛義務を果たさないと脅かしている。同盟国との安全保障の信頼を損なう暴言だ。脱炭素に向けた環境政策にも後ろ向きで、地球温暖化がさらに加速し異常気象が頻発するだろう。中国への強硬姿勢は米中関係に一層の緊張をもたらすに違いない。自国第一主義は保護貿易を助長し国際秩序の混乱に拍車をかける。ロシアや北朝鮮ほかの専制国家は相対的に有利なポジションを占めることになる。国内的には自らに有利となるように対立を煽り、社会の亀裂と分断は激しさを増すだろう。要するにトランプが返り咲いたら米国自身と世界にとっていいことは何もない。問題はこうした事態に直面してもアメリカという国は何もなすことができないのかということだ。
 かつて早稲田の政治学科ではアメリカンデモクラシーの素晴らしさを教えていた。民主、共和両党による政権交代、多元的な価値を代表する圧力団体、利害関係の調整に動くロビイスト、オピニオンリーダーが大衆を啓蒙する2ステップフローコミュニケーション、建国以来の伝統を受け継ぐ大統領選の仕組み等々、我が国の政治状況からすれば輝ける民主主義の姿がそこにはあった。あれはもう幻と消え去ってしまったのだろうか。
 大統領選に出る有能な若手政治家はいないのか。いてもそれを候補者に担ぎ上げるエネルギーやシステムがないのか。今のように80歳前後の爺様ばかりというのでは情けないにもほどがある。世論をリードすべきワシントンポストやニューヨークタイムズ、ウオールストリートジャーナル等のクオリティペーペーと呼ばれたメディアは無力なのだろうか。トランプを支える非大卒、白人労働者の知的レベルはかなり低いといわれているが彼らを啓蒙することはできないのか。米国自身の国益を損なうことは明らかなのにそれをわからせる何らかの手立てが必要だ。
 米国の防衛力に依存している同盟国は多い。その信頼関係がいま音を立てて崩れようとしている。わが国も日米安保条約があるから大丈夫などと吞気に構えてはいられなくなる。自分の国は自分で守るという当たり前の努力が求められてくるだろう。それをわからせてくれるのが「本トラ」の肝かもしれない。かつてトランプの脇の下に手を入れてくすぐりまくって手玉に取った安倍某はもういないのだ。わが国の政治にも覚悟が必要とされる時代が来たことを自覚すべきであろう。                                        
(照山忠利)

                                       


 



四季の記憶 98「めぐる季節」

鈴木 奎三郎 2024・2・17


 昨年の夏の暑さが厳しかったせいか、この冬の寒さもかなり厳しかった。トシのせいもあろうが、ヒートテックの上下の下着を着こんでも、どうも耐寒力が衰えてきたような気がする。先日は“春一番”も観測されて、ここ数日は急に春の気配が濃くなってホッとしているが、今度は真夏の暑さが心配になってくる。二十四節季の最初の節季は「立春」である。かつては神社仏閣をはじめ、商店や仏閣などには「立春大吉」のお札が貼られる習慣があったが、今はほとんど見かけなくなった。現役の頃社用で.何度か行った築地の「吉兆」は、立春になると必ず梅の小枝を門口に置いていた。さすが老舗である。
 
 ちょうど今頃は受験シーズンだ。この年になってもいまだに60年前のあの頃の記憶は鮮明だ。調布の神代植物公園には、早咲きの“冬至”という老木は七分咲きで、小枝のあちこちに白い紙むすびがつけられている。そのうちのいくつかは、受験生の必勝祈願のもののようだ。ぼくにとっては遥か彼方の記憶だが、誰しもが一度は通らなければならない道である。梅の香りとともに、春秋に富む若者すべてに吉報が届くことを祈らずにはいられない。

 ヒマに任せて何度か行った日野市の多摩動物公園。鳥インフルエンザとかで、一部はクローズになっているが今はどうであろう。当時のお目当ては昆虫生態園の巨大なガラス張りの温室だ。20℃に保たれた温室の中では様々な蝶が乱舞している。16種の蝶が飼育されているそうだが、そのなかでもひときわ目を引くのが国内最大級といわれる亜熱帯種のオオゴマダラだ。

 オオゴマダラは黄金のさなぎから次々と羽化している。幼虫は薄緑と黒の縞模様に赤いまだらが混じっている。さなぎになった途端に金色に輝くのは外敵から身を守るため・・と案内板に書いてある。造化の妙である。羽化した個体を生態圏に放つとすぐに舞い始めるようで、接写レンズを向けても逃げようともしない。そっと触れようとしても警戒する様子もない。温室ゆえに一年中が春である。季節を知らない蝶である。3,4週間もすると寿命は尽きる。自然の生態系に生きる種に比べてなにか弱々しくはかなげな印象である。

 温室ゆえに一年中が春である。季節を知らない蝶である。自然の摂理からすればなにやらかわいそうな気がする。寿命はせいぜい3,4週間だそうだ。早咲きの桜の開花、梅の開花もそろそろだ。

 梅の香に背筋伸ばして散歩かな