「年年歳歳花相似たり、歳歳年年人同じからず」
花は、自然の赴くまま、来る年も来る年も蘇って咲き誇るが、人の境遇と言うのは如何なものか?歳重ねてははかなく消え失せて行くこの宿命や如何に?
なぁんて、その意味を知ってか知らずか、恥知らずの年寄りが知ったかぶりをして勝手に開陳していますが、そのド図々しさにあきれる御仁もおいでとは思います。
そうなんです。八十路にたどり着くべく急峻な崖を喘ぎあえいで登り詰め、やっと大台通り越してホッとしたのもつかの間。新型コロナウィルスと言う厄病神が手ぐすね引いて待ち受けていたのです。三密はじめ、“するな・止めな!!”の大通り。もう、こうなったら不貞腐れの極みの毎日です。
70の手習い?で始まった我がHome Pageは100号になりなんとしていますが、専ら人畜無害を旨としており、春先までは、お年玉付き賀状や靖国神社の開花宣言予測が当ったとか外れたとか、気楽な内容でコロナ禍の片鱗もなし。
4月号となると様相一変。こんな記述があります。【特に、今年は新型コロナウィルスが蔓延し、上野のお山の櫻狩りも“肩身の狭い”思い持ちつつ、行き帰りの電車でもマスクスタイル。もちろん歌舞音曲の類もご法度。絶唱極め付き容認の櫻狩りは去年までの話。】
とんでもない闖入者です。しかも、姿・形さえ詳らかにしない。新型コロナウィルスに人類すべてが席巻されて限りなく萎縮しきった世界。 自粛・自粛がひとり歩きして万人が陰鬱になっては意気消沈しているのが現状ではないでしょうか。そして、波の強弱はあっても深刻度は更に増し、日々その動静について関心を持たざるを得ない影響下にあります。
次月以降、私のHPもコロナ一色。ワクチンを渇望して、「もう待てないと」痺れを切らし、「いい加減にしてくれ」、と不貞腐れて見たり、徹底抗戦と思いきや一時断念し、諦めては“With
Corona”なんて媚びを振る。第二波過ぎたら流感相乗の強力第三波。
白旗掲げつつ越年の可能性大ですよね?
コロナ禍にあって、「三密」はじめ、すべからく“疎遠な関係”を強要され、自らを幽閉して日長一日蟄居三昧。筋肉が萎えるのを垣間見ては、精神面でもすっかり落ち込んでしまい、「老人性鬱」であるとの“診断”を、医者でもないのに自ら下す羽目に陥りました。一日24時間。有り余る怠惰な時間をどう過ごすのか?とかく、鬱な時期はすべきことは分かっていても“やる気”が起こらない。
「陰極まりて陽生ず」との例えの通り、そこで思いついたのが、陰を脱する為にも屁理屈こねている暇はない、奮い立たせて、とにかく遮二無二歩こう。
それが、4月から始めた「一日一万歩」でした。
拙宅の近くに区立「武蔵関公園」が鎮座し、池の周り1,201mで、私の歩幅だと一周2千歩。「天祖若宮八幡宮」を往復して公園を4周すると、ゆとり見て11,000歩。8月は平均10,653歩。そして9月は10,216歩でしたから、両月は、酷暑、本降りにもめげずよくも貫徹できました。我が身を褒めてやりたい心境です。
社会・経済活動活性化とコロナ禍対応。この二律背反する事象への舵取りと言うかさじ加減の困難なこの時期。
不穏な予感なのですが、来年の我がHPもコロナ禍旋風の止むことはありますまい。
気持ちだけでも落ち込まず、頑張って生き抜いてまいりましょう。
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