石井新会長を選出【第44回総会】

練馬稲門会は令和4年7月9日(土)、ココネリホールにて3年ぶりとなる対面での総会を開催し、退任される荻野隆義会長の後任に石井弘美氏(昭57理工)を選出しました。
前日の8日には安倍元首相が参院選の応援演説中の奈良で凶弾に斃れるという衝撃的な事件がありましたが、コロナ禍が続く中でも当日は101名の会員が集まり久闊を叙しました。
時節柄酒宴こそ自粛したものの早稲田大学応援部のリーダーの熱演で会場は大いに盛り上がり、石井新会長の船出を祝いました。


就任のご挨拶 (2022年9月 稲門Pressより)
練馬稲門会会長 石井弘美             
私は去る7月9日の練馬稲門会第44回総会において第3代目の会長に選任され就任致しました。
大任を仰せつかり身の引き締まる思いがしております。
会員の皆様には平素から練馬稲門会のために多大なるご支援とご協力を賜りまして誠に有難うございます。
また、これまで 26年の長きにわたり練馬稲門会を率いてこられた荻野隆義前会長にはそのご功績に衷心より感謝申し上げますとともに、深甚なる敬意を表したいと存じます。

就任にあたり私と練馬稲門会とのこれまでの関わりについて少し触れさせて頂きます。
私は昭和57 (1982)年に理工学部建築学科を卒業しました。
12年ほど宮仕えをした後、父の経営する建設会社に戻り、東京青年会議所(JC)に入ったことがきっかけで練馬稲門会に入会しました。
今から27年前のことです。当時の塩田事務総長や、先般亡くなられた手塚さんなど先輩方に随分遅くまで引き回され可愛がって頂きました。
「1に懇親2に懇親、3・4がなくて5に懇親」がモットーでした。
後輩は先輩を敬い、先輩は後輩を可愛がること。先輩が後輩を顎で使い、後輩が先輩に遠慮する関係はダメだと教えられました。今に通じる練稲精神だと思います。

1998年、設立20周年の記念総会が池袋のサンシャインプリンスホテルで開催され、小沢昭一さんをゲストに 200名が集いました。
この時若手の幹事として汗を流しました。その後幹事長に推挙され、松本誠さんにバトンタッチするまで11年間努めました。
2003年の25周年は光が丘第一ホテル(現カデンツァ)で開催し、同期生の柳亭燕路師匠が司会で若手落語家を集めて大喜利をやったことも懐かしい思い出です。

他方、幹事長時代に大学校友会の幹事となり、露木和子事業委員長(露木茂氏夫人)の下で「稲門祭」の本格 的な立ち上げに関わりました。
2007年の大学創立125周年の稲門祭では練馬の荻野会長が実行委員長、私が景品広告本部長を務め、車4台を景品として集めたこともありました。

練馬稲門会のこれまでの歴史の中で特筆すべきはやはりニューイヤーコンサートだと思います。
荻野会長の発案で始まったこの催しは、今では新春の恒例行事として定着し、すでに15回を数えています。
当初はかなりの批判や反対論なども多かった中で、会長を筆頭に柳洋子さん、富塚さん、小松さん、菅野さんなどのご尽力を得て幾多の難局を乗り越え、今日の隆盛に至ったことは感無量のものがあります。

練馬稲門会は、海外を含めて399ある地域稲門会の中でもその活動の活発さと多様性においてトップクラス の稲門会であると自負しておりますが、来年は45周年の節目の年を迎えます。
当会の三つの使命「会員相互の親睦」、「地域社会への貢献」、「早稲田大学への貢献」を念頭に、これまでの歴史を踏まえながら、これから先の新たな「練馬モデル」とでもいうべき道をさぐっていきたいと思います。
45周年記念行事もそれに相応しい催しを企画していくことと致します。

幸い私は2月の早稲田大学評議員選挙において荻野隆義様の後任の評議員として皆様からご推薦を頂き、無事当選を果たすことができました。
改めて御礼申し上げますとともに、大学との強力な絆を保ちながら練馬稲門会のために渾身の努力を傾けてまいる所存ですので、今後ともご支援とご協力の程を切にお願い申し上げます。
皆様方の益々のご健勝とご多幸を祈念して就任のご挨拶とさせて頂きます。