第10回 練馬稲門会 ニューイヤーコンサート2016

2016年2月11日(建国記念の日) 練馬文化センター大ホールは、ベルリン・フィル首席ホルン奏者シュテファン・ドールさんの出演サプライズで、満員の盛況。永久名誉顧問田中雅彦先生の親友ドールさんは、モーツアルトのホルン協奏曲だけのお約束だったのに、リハーサルの時から団員ひとり一人にやさしく指導され、アンコールのラデッキィー行進曲、剣の舞、早稲田の栄光、早稲田大学校歌にまで団員に交じって演奏された。ホルンの妙なる音色を聴かせて頂いただけでなく、世界的な名演奏家にして心暖まるお人柄に触れ、じんとくるこの思いは何時までも心に残ることだろう。

今を去る10年前、練馬稲門会の規約には会の目的が明記されていた。即ち
「会員相互の親睦を図り、併せて練馬区及び早稲田大学の発展に寄与することを目的とする」
だがこの社会貢献活動については会発足以来30年間、際立った実行はなかったという。そこに文化センターからキャンセルの穴埋めに、文化センターを使ってくれないかと荻野会長に打診があり、荻野会長はこれは絶好のチャンスだニューイヤーコンサートをやろうと幹事会に諮った。「クラシックは無理」「唐突だ」「1400席を埋めるのは大変」「やりたい人だけでやればいい」「誰がやるのか」「チケット代が高すぎる」など慎重論が噴出した。

練馬稲門会の会員が居住地の練馬区にも早稲田にも何らかの形で貢献するのは当然のこと、練馬稲門会創立30周年、大学は125周年に何らかの祝意を示し、一方練馬区の緑を取り戻そうとの遠大な計画「葉っぴい基金」への寄付に協賛、区民への周知に役立て稲門会の感謝を形にしたい。荻野会長の10年先を見据えた経営者の確かな目、私財を投じてもやり抜くという覚悟と勇気ある英断によって第1回のコンサートがスタート出来たのである。

第1回目の実行委員長には柳洋子さんが指名され、コンサートのノウハウに未経験者ばかりの中で、如何にして実行に移すことが出来るか懸命の土台作りが始まり、早稲田大学交響楽団、指揮は曽我大介さん、演奏曲目もチャイコフスキーの「白鳥の湖」など馴染みの曲を選定、コンサートの趣旨の徹底を図ったが、中には依然として冷やかな傍観者が多く大幅な赤字となり荻野会長にご迷惑を掛けてしまった。

第2回目の実行委員長は富塚辰雄さん、元練馬区議会議員の人脈経験を活かし外部からの協力者に呼びかけるなどチケット販売実績を上げる他、ニューイヤーコンサートが「葉っぴい基金」に多額の寄付をした実績をもって練馬区後援のお墨付きも頂けた。

第3回目からは小松が担当で、本場ウイーンのニューイヤーコンサートに倣い舞台に生け花を配置、華やかなムードづくりに努める一方、コンサートが回を重ねる度DM発送作業の協力依頼に社会貢献事業との認識が次第に浸透、地元企業経営者の協力も多く、第10回目にしてようやく満員札止めとなり、終演後荻野会長のところには素晴らしかった、感動したと次々感謝の電話が入ったという。

さて、本日の売り上げの中から「葉っぴい基金」への寄付金の目録を前川区長に贈呈する儀式が終わると、第1部ワーグナーの歌劇「タンホイザ-」序曲(パリ版)の演奏となる。指揮者曽我大介さん何時ものように颯爽と指揮台に立たれたとたんタクトが振り下ろされ、まさに大介流のパフオーマンスに聴衆は思わず舞台に釘着けとなった。

曲はホルンとクラリネットによって奏でられ、多種多様なパーカッションによる熱狂的な場面から一転静謐な音楽となって曲が終わる。
歌劇「ローエングリン」よりはローエングリンとエルザ姫の結婚式の場面、第3幕への前奏曲とそれに続く婚礼の合唱で、結婚式の聖堂へ向かう聴きなれた曲だ。
次が冒頭紹介したモーツアルトのホルン協奏曲、ドールさんのホルンにワセオケの団員が共演する、世界的なホルンとはこんなにも素晴らしい音色が出せるのかと聴衆は固唾をのんで聴き入り、団員も緊張で頬を真っ赤にして共演していたようだ。

15分間の休憩後、第2部ドヴォルザークの「新世界より」。荻野会長が予てよりの念願叶いそれもドールさんが団員のホルン奏者と並んで吹いて下さる。全く夢のようなハプニングに聴衆はベルリンフィルを聴いた興奮で、「思わず涙が込み上げて」と何人もの女性がハンカチで目頭を押さえていた。

第11回からは栗原英明さん、田辺攻さんにバトンタッチ よろしくご協力お願い致します。(小松袈伴)


シュテハン・ドールさん+ワセ・オケの練習風景


お客様の入場風景


練馬区への寄付


練馬区からの感謝状


演奏


シュテハン・ドールさん+ワセ・オケの実演


終演




ご案内
練馬稲門会 会長 荻野隆義
早稲田大学OB・OGの皆様におかれましては公私ともに益々ご活躍のことと お慶び申し上げます。
当会では毎年新年にこのコンサートを開催してまいりまして来年は第10回 を迎えることになりました。
日程につきましては従来は1月に開催してまいりましたが今回は平成28年(2016年)2月11日(木曜日・建国記念の日)になりました。

コンサートの曲目につきましては別掲の通りですが、第二部で演奏 予定のドボルザークの交響曲第九番「新世界より」は馴染み深い旋律が全楽章に散りばめられた名曲であります。とくに第二楽章は技巧派ドボルザークの真髄を垣間見ることが出来るもので、名指揮者曽我大介氏のタクトが楽しみで す。
また第一部では恒例のシュトラウスファミリーのワルツ等を一新、ワーグナーの歌劇タンホイザーとローエングリンの2曲を用意しておりますので、大いに盛り上がるコンサートになるものと思います。

当会では第一回より収益金の一部を「練馬の縁を育む基金(ハッピー基金)」 に寄贈を続けてきております。来年も皆様のご協力により浄財がご用意できれ ばと心より願っております。
最後はこのコンサートにしかない弦楽器による早稲田大学校歌の演奏があります。声高らかに若き日を思い出していただければと存じます。
ぜひご家族、ご友人をお誘いの上ご参加いただきますようお願い申し上げます。

ご案内

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日時 平成28年(2016年) 2月11日(祝) 16:30 16:15開場 17:00開演
場所 練馬文化センター大ホール (西武池袋線.練馬駅北口下車2分)
住所 練馬区練馬1-17-37  TEL 03-3993-3311

申込書ダウンロード
メール neritou@waseda-info.com



第10回ニューイヤーコンサート曲目解説

ワーグナー / 歌劇「タンホイザー」序曲(パリ版)聴きどころ
ワーグナーは、終生にわたってドイツを舞台とした様々な神話や民話に着想を得た作品を作りましたが、歌劇「タンホイザー」はそうした題材をもとに作曲した最初のものです。
1845年のドレスデンでの初演以来何度か改訂がなされていますが、今回の演奏会では1861年にパリで初演する際に、当時の同地のオペラの慣習に従って、序曲に続けてそれまで存在していなかったバレエのシーンが追加された「パリ版」を取り上げます。
この版が演奏会で取り上げられることは非常に稀ですが、ワーグナー特有の高揚感に満ちた旋律や、多様な打楽器を用いたエキゾチックなバッカナール、愛の神ヴィーナスの住む洞窟を表す※静謐な音楽など、豊かに表情を変える色彩感にあふれた名曲です。

  ※静謐(セイヒツ)…「静かで落ち着いていること」また「そのさまを表す」

ワーグナー / 歌劇「ローエングリン」より 第3幕への前奏曲 − 婚礼の合唱 – 第2幕終曲 聴きどころ
歌劇「ローエングリン」は、前作の「タンホイザー」同様に中世ドイツの伝説をもととしており、“聖杯”(キリストが最後の晩餐の際に使ったとされる杯)を守護する騎士ローエングリンと、アントワープの領主の姉エルザ姫との悲恋を描いたオペラで、初演から現在に至るまで、ワーグナーの作品でも屈指の人気を誇る楽曲です。この演奏会ではその中から、管弦楽曲として単独で演奏されることも多い第3幕への前奏曲と、日本では結婚式の音楽として有名な婚礼の合唱、そして劇中では婚礼の行列が大聖堂へと向かう場面で流れる、壮麗な第2幕の終曲を抜粋して演奏いたします。

ドヴォルザーク / 交響曲第9番 ホ短調 作品95「新世界より」 聴きどころ
ドヴォルザークの代表作である「新世界」交響曲は、主にドイツ語圏を中心に活躍していた作曲者が音楽学校の校長就任の依頼を受けて、当時のヨーロッパから見て文字通り「新世界」であったアメリカに渡った際に作られたもので、ニューヨーク・フィルハーモニックによってカーネギーホールで行われた1893年の初演では大成功を収めました。
この曲にはドヴォルザークの持ち味である美しく親しみやすい旋律が各所に溢れていますが、これらにはアメリカの民謡や黒人霊歌からの影響も指摘されています。
日本においては第2楽章の第1主題に歌詞を付した「家路」の題名の歌謡曲の元となった曲として広く知れ渡っており、クラシック音楽を代表する楽曲として多くの人々に親しまれています。
(解説: 早稲田大学交響楽団 オーボエ4年 宇都宮大輝)

「新世界より」の解説追補
841年、現在のチェコに生まれたドヴォルザークは、同地の民謡などを素材とした作品を数多く世に送り出し、チェコ国民楽派の開祖として、現在においても大変な人気を誇る作曲家です。
肉屋兼旅籠屋の息子として生まれ育った彼は、幼い頃から音楽的素養を示していましたが、経済的安定を求める父は音楽家の道へ進むことに反対し、伯父や通っていた学校の校長のとりなしによって、ようやく本格的な音楽教育を受けることができました。
転機となったのは1877年にオーストリア政府の奨学金の審査を受けるために提出した作品が、ドイツ・ロマン派の大家であるヨハネス・ブラームスの目に留まって激賞され、個人的な知遇を得たことです。ブラームス自身も「ハンガリー舞曲集」など、民族的な音楽を素材とした曲を創り上げており、以降ドヴォルザークの良き理解者となりました。
その後、主にドイツ語圏の国々やイギリスで特に大きな人気を手にしたドヴォルザークに、アメリカから音楽学校の校長就任の依頼が届きます。名声を勝ち得た後もチェコに留まってい
841年、現在のチェコに生まれたドヴォルザークは、同地の民謡などを素材とした作品を数多く世に送り出し、チェコ国民楽派の開祖として、現在においても大変な人気を誇る作曲家です。
肉屋兼旅籠屋の息子として生まれ育った彼は、幼い頃から音楽的素養を示していましたが、経済的安定を求める父は音楽家の道へ進むことに反対し、伯父や通っていた学校の校長のとりなしによって、ようやく本格的な音楽教育を受けることができました。
転機となったのは1877年にオーストリア政府の奨学金の審査を受けるために提出した作品が、ドイツ・ロマン派の大家であるヨハネス・ブラームスの目に留まって激賞され、個人的な知遇を得たことです。ブラームス自身も「ハンガリー舞曲集」など、民族的な音楽を素材とした曲を創り上げており、以降ドヴォルザークの良き理解者となりました。
その後、主にドイツ語圏の国々やイギリスで特に大きな人気を手にしたドヴォルザークに、アメリカから音楽学校の校長就任の依頼が届きます。名声を勝ち得た後もチェコに留まっていた彼は大いに逡巡しますが、周囲からの勧めもあって、アメリカへと渡っていきました。
ニューヨークへ到着し教職に就いたドヴォルザークは、教師としては弟子たちにかなり厳しい教え方をしていたようですが、一方で弟子からも影響を受け、自らの音楽作りの新たな糧としていました。特に彼の学生の中の1人であった黒人の学生が歌う黒人霊歌には大きな興味を惹かれた様子であり、彼らがどの様にその曲を歌うのか熱心に訊ねていたといいます。そのように充実した生活をしている中、ドヴォルザークは弟子からの誘いを受けて、同郷のチェコからの移民の集まるスピルヴィルという地で休暇を過ごします。懐かしいチェコ語に触れるなどして創作意欲を刺激されたドヴォルザークは、同地で彼の代表作となる交響曲第9番「新世界より」を作曲しました。
初演はニューヨーク・フィルハーモニックによってカーネギーホールで行われましたが、たちまちのうちに大評判となり、終演後の喝采の様子をドヴォルザーク自身も手紙の中で興奮気味に語っています。
当時から黒人霊歌との類似を指摘されており、抑圧された環境下に置かれていた黒人の人々にとって、一級の芸術として自らの歌が認められたことは、アメリカ社会に風穴をあけるものと色めき立ちましたが、ドヴォルザーク自身は影響を受けたことは認めつつも、これらをそのまま流用したのではなく、故郷チェコの音楽も折り混ぜながら「アメリカ的な」精神で書いたと語っています。
同曲は、ブラームスが「ドヴォルザークのゴミ箱を漁れば交響曲が一曲書ける」と羨んだ、彼の持ち味である美しく親しみやすい旋律に溢れており、特に第2楽章の第1主題はは日本語の歌詞を付されて「家路」の題名で広く知れ渡るなど、クラシック音楽を代表する楽曲として広く親しまれています。
(2/5 富永遥香)