「荻野時代」を振り返る (2022年9月 稲門Pressより)     

練馬稲門会前会長 荻野 隆義

これまでの26年間にわたって練馬稲門会を率いてこられた荻野隆義前会長に、就任から退任までの様々な思い出を語って頂きました。聞き手は広報チームの照山忠利リーダーです。

一一7月の総会で長期に及ぶ会長職を退任されました。 今のお気持ちは。
長年の懸案事項であった世代交代ができて
荻野 やっと肩の荷を下ろした感じでほっとしています。
大分前から「世代交代」を訴えて後継者が できるのを待ち望んでいたのですが、なかなか 機が熟さず今日に至りました。26年前に父の後を継いで会長に選ばれた時には、正直言って こんなに長く務めることになるとは思いません でした。でも振り返ってみるとあっという間だったような気もします。

一一就任された当時はどんな状況だったのですか。
会のさらなる発展のためにサークルを
荻野 父の優が昭和 53 (1978)年の創立から16年間会長を務めました。
私が第2代会長に就任した当時は、東京23区稲門連合会の結成大会が開かれ、16の都内稲門会が一堂に会しました。 残りの7区の稲門会もその年に結成されました。
従来からの各道府県校友会支部と同一歩調をとることになったのです。
当時の練馬稲門会の会員数は 152名と設立当初の200名から減っていました。そこで会のさらなる 発展のためにいく つかのサークルを作り、会員相互の 親睦と連帯感を図ることにしました。

一一それが今ではサークル数も20に増え、23区の中ではトップクラスの稲門会となりました。
サークルの増強に尽力された方々に感謝!
荻野 サークルの育成や会員の増強対策に取り組んでくれた方々の功績が大きいと思います。
中でも 塩田さんには幹事長、事務総長として献身的な働きをして頂きました。
校友宅への戸別訪問で入会を勧誘したり、ゴルフ、旅行、スポーツ観戦、 テニス、釣り、囲碁、ダンスなどサークルを次々と立ち上げました。
旅行部会は 2000~2008年までの間にハワイ、 オーストラリア、タイ、ベトナム、済州島など のツアーを実施しましたし、ゴルフ部は中島さ んの尽力で100名を超える最大サークルとなり、昨年 200回のコンペをクリアーしました。
その後事務総長を務めた関さんにも頑張って頂き、今日の隆盛の基礎を作ってくれましたが、 昨年急逝されたことは本当に残念です。

一一在任中の思い出で印象深いことは。
難局を乗り越えニューイヤーコンサートを
荻野 いろいろありますが一つだけ挙げるとすればやはりニューイヤーコンサートでしょうか。
練馬稲門会の活動理念として「会員相互の親睦」、「大 学への貢献」に加えて「地域社会への貢献」を 掲げています。
この三つ目の目的を達成するにはどうしたらよいかと考えたときに浮かんだの が早稲田大学交響楽団によるニューイヤーコン サートでした。
2007 年に第1回の演奏会を練馬文化センターで開催しました。
これを提案し た当初は様々な異論、反論があり、柳洋子さんの回想録によれば「どうせ成功などするわけな い」と嘯く有力者もいたそうです。
新年早々の寒風の中早朝から会場予約に並んだのを手始めに、チケット販売、団体・企業への協力要請など山のような仕事が待ち受けていましたが、柳 洋子さん、富塚さん、小松さん、菅野さん、華岡さんなどのご尽力で難局を乗り越え、実現に こぎつけることができました。
今では練馬区の新春恒例の行事として定着し親しまれています。
また収益の中から「練馬みどりの葉っぴい基金」にも毎回寄付を続けており、地域社会への貢献という目的を十分果たしてい ます。
残念なことは任期の終わりの2年半ほどがコロ ナの感染拡大で活動にブレーキをかけられたことです。
これは練馬稲門会だけでなくどこの団体も同じですが、コロナ感染初期に高名な大病院の先生が「人々がコロナから完全にフリーとなるには5年かかる」と言われたことが思い出されます。
このため昨年10月に私のホームコ ースである武蔵 CCを借り切ってゴルフ部 200回記念大会を企画したのですが断念せざるを得 なかったことが本当に心残りです。

一一最後に、これからの練馬稲門会に対するアドバイ スをお願いします。
終生の早稲田キャンパスとして発展を
荻野 私自身在任中は会社経営と業界団体等の役職に加え、早稲田大学関連の仕事もあり大変多忙でした。
そのため練馬稲門会の運営については手が回らないことがあったのも事実で、内心旺尼たる思いがしています。それでも多くの方々に支えて頂き何とか職務を全うすることができました。
関係者の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
後任の石井新会長も現役の経営者ですので、私同様多忙な中での会長職となりますが、幸いス タッフ陣も充実しているようですので、新しい感覚でさらに会の活性化と発展をめざして頂きたいと思います。
「早稲田大学」という現実のキャンパス生活は大体が4年間程度ですが、「練馬稲門会」とい うキャンパスは世代を超えて交流できる終生のキャンパスです。
早稲田ファミリーであることにさらに誇りと喜びを感じられるような団体、そんな存在になってもらいたいと念願しています。











ごあいさつ
 (2021年12月 稲門Pressより)

練馬稲門会会長 荻野 隆義

練馬稲門会会員の皆様には日頃から会の運営につきご支援とご協力を頂 き、誠に有難うございます。新型コロナウイルスの感染の収束が見通せな い中、皆様には何かと不自由で窮屈な生活を強いられ、気持ちの晴れない 日々を過ごしておられることと存じます。
ご承知の通り早稲田大学ではこのコロナ禍に対しいち早く関係者の安全を最優先する姿勢を鮮明にし、授業のオンライン化を進めるとともに卒業 式、入学式を始め公式行事の一切を取りやめました。校友会も大学の方針に従い主要行事の自粛措置を継続しており、練馬稲門会もこれに準じて今日に至っております。

年明けに予定していたニューイヤーコンサートについては開催を中止し、翌年に延期することを決 定しました。当会にとって象徴的なこの行事は第15回の節目となる演奏会でもあり、何としても開催にこぎつけたいと願っていたのですが、中止の決定はまさに苦渋の決断でありました。演奏の交響 楽団共々次回に向けて希望をつなぐことといたします。

コロナの挑戦が始まってから間もなく1年になります。この間世界各国でワクチンと治療薬の開発 が急ピッチで進められていますが、仮にその供給が開始されたとしても、人々が完全にコロナからフリーとなるには5年はかかるだろうという話を、先頃高名な大病院の先生からうかがいました。いわば「コロナとの共生」です。マスク、手洗い、うがい、三密回避、ソーシャルディスタンス等の所作 ばかりでなく、リモートテレワーク、在宅勤務等の仕事のデジタル化は今後「新常態」として定着す るのではないかと思われます。そこで危惧されるのは人々の絆とかぬくもりとかの、人と接することでしか得られない社会的関係が希薄化するのではないかということです。練馬稲門会としてもこれから世の中の情勢の変化に対応しながら、絆を保つための工夫を模索していかねばなりません。

ところで皆様は「永楽倶楽部」をご存じでしょうか。大限侯が設立にかかわった由緒ある早稲田 OB中心の社交クラブですが、先日その会報が送られてきました。編集後記に「永楽倶楽部より練馬稲門会のほうが会費も安いし、よほど活発に多彩な活動を展開している」という会員の声が紹介されています。大変驚くと同時にわが練馬稲門会がそれだけ評価されていることに誇りを覚えた次第です。

また、早稲田スポーツがこのところ好調なのもうれしい限りです。東京六大学野球では劇的な逆転 本塁打で早慶戦を制し、10シーズンぶりに46回目の優勝を飾りました。ラグビーも大学選手権2連覇に向け視界は良好、箱根駅伝でも早稲田らしい走りを期待したいところです。いくつもの競技で母校の全国レベルでの活躍を応援できるのも早稲田ならでは。ほかの大学ではこうはいきません。スポーツを通じて改めて早稲田に学んだ絆と喜びを味わいたいものです。

練馬稲門会会員の皆様には当分の間、ご不便とご迷惑をおかけしますが、何卒事情ご賢察頂きよろしくご協力のほどお願い申し上げます。









ワセダブランドの一翼を担って
 (2014年度 総会資料より)

練馬稲門会会長 荻野 隆義

本学は、創立150周年を迎える2032年を見据えた新たな中期計画"WASEDA VISION150"を策定し、「世界に貢献するワセダ」をそのひとつに掲げています。
日本の「早稲田」から世界の「WASEDA」へ。"一身一国の為のみならず、進んで世界に貢献する…"という創設者大隈重信侯の久遠の理念は時代を超えて受け継がれています。
翻って当会は今年創立36周年。東京23区校友会屈指の稲門会として全国からその活動は注目されています。
世界に貢献できないまでも、歴史を重ねてきた伝統ある稲門会のひとつとして、みなさまのご協力を得ながら次の3点を軸に置いて更に活発な活動を行っていきたいと考えています。

1.会員相互の親睦をさらに進める
2.大学に貢献する
3.練馬区に貢献する

「会員相互の親睦をさらに進める」は、これこそか本会の目的であり使命でもあります。
現在の会貝数は400名を超えていますが、実態は約20に近いサークルに参加し活動をされている会員はその半数にもなりません。
年会費を納めているにもかかわらず、サークルに参加していない会員が半数以上もいるのが現状です。
これは執行部としても大変残念なことであり、同時に早急に解決しなければならない課題であると思っています。
少しでも多くの皆さんがなにかのサークルに参加されて、練稲ライフを楽しんでみよう……という魅力のある会にしなければと考えています。
そのために、5月1日に4つの"チーム"を立ち上げました。事務局の体制と機能も強化し、"チーム"と事務局が一体となり、みなさまのご期待に沿える体制を作っていきたいと思っています。

次に「大学に貞献する」については、稲門祭やスポーツ、いろいろなイベントなどに参加すること、さらにサークル活動を活発に進めることが、直接間接に大学に貢献することに繋がります。
結果としてそれが当会はもとよりワセダブランドを国内外で光り輝かせることになると考えます。

「練馬区に貢献する」は、地元の校友会として当然のことであり、また1978年に当会が設立された時からの趣旨でもあります。
特に、その具体的な事例として、2007年にスタートした本学交響楽団による"ニューイヤーコンサート"はすでに8回目となりました。
練馬文化会館で開催するコンサートは、他の稲門会の追随できないシンボリックな行事として定着しています。
同時にその収益金の一部を練馬区の文化、緑化の振興に資するための「葉っぴい基金」に寄付しています。
これはひとえに皆様のご理解とご助力によるものであり、当面、10回を目標に続けていきたいと思っています。
みなさまのこれまでのご助力に感謝しつつ、共に力を合わせてより良い練稲を、そして練稲ライフを築いていこうではありませんか。








創立35周年にあたって
 (2013年度 総会資料より)

練馬稲門会会長 荻野 隆義

 今年で創立35周年となる当会は、昭和53年3月18日、豊島園において第一回の設立総会が開かれて発足しました。父の優(まさる)は初代の会長に選ばれ、平成6年7月に逝去するまで会長を務めました。
こよなく「ワセダ」を愛し、練稲の発展に精魂を傾けてきた父は、現在の練稲の活況を天界からきっと喜んでいるのではないかと思います。奇しくも今年は生誕100年になります。
さて、優の父は、山梨県に生まれ身一つで東京に出てきました。当時は決して豊かでなかった山梨ゆえ、ずいぶん苦労を重ねたようですが、上野に開いた電気店で成功しました。松下幸之助さんが二股ソケットを売りに来たり、近くに住んでいた横山大観翁の絵を買ったり……という逸話が残っています。
父は大正2年に東京で生まれ、早稲田中学、第二高等学院、商学部を卒業。弓道部で小笠原流の射手として活躍したスポーツマンでした。いくつかの自動車関係の会社を経て東京日産自動車販売を興し、副社長として昭和45年に退任するまで、その規模を飛躍的に発展させたようです。
ワセダへの愛校心も人一倍強く、創立100周年の募金に際しては、当時の西原総長を連れて企業回りを行うなど献身的な母校愛を持っていました。仕事とワセダと、そして人一倍面倒見のいい性格ゆえ日々が多忙を極め、父と接する時間はほとんどなく、子供心に寂しさを感じた時もありました。
しかし、折からブームが到来したゴルフの手ほどきを受けたり会員権を貰ったり、私の兄弟3入はゴルフにのめりこんでいきました。そういう点では子煩悩な父であったと思います。
そんな父の記憶を辿るにつけ、未だに私は"おやじの背中"に追いついていないという実感があります。追い越すことはできないまでも、なんとか少しでも追いつきたいと願っています。
35年前に父と有志が創設した練稲。そのあとを受けて平成6年に2代目の会長をお引き受けしましたが、役員はじめみなさんのお力で、会員数も380名を数える全国有数の校友会になりました。
またサークルも増えご同慶の至りですが、これから取り組むべき課題は、
1.役員と会員の活動の段差をどう平均化して活性化していくか
2.役員が牽引するのではなく、会員からの意欲やパワーをいかに引き出していくか。そのための組織をどう作っていくか
3.若手会員、女性会員をどう増やしていくか
4.そのために魅力ある練稲をどう構築していくか
などが、今後の取り組むべきポイントではないかと思います。
創成期から円熟期へ……共に力を合わせてより良い練稲を、練稲ライフを作っていこうではありませんか。
(平成25年3月22日開催のサークル懇話会「おやじの背中」から構成)

                 
          荻野隆義会長           初代会長 荻野優