平成25年 第7回ニューイヤーコンサートのご報告

早稲田大学交響楽団第7回「ニューイヤーコンサート」に集いて

「練馬稲門会」も随分と「粋」(いき)な企画をする。それも7回目で、早稲田大学交響楽団の「ニューイヤーコンサート」はすっかりお馴染となった。新春の華やいだ雰囲気がいい。音楽には全く門外漢の私に「何か書け」と言う先輩からの指示。断り切れずに恥をかくはめになった。

前から気になっていたのは「指揮者」の動きと、「演奏者」のかかわりだった。何時も後ろから見る他ないのだが、かつてサントリーホールでロシアのヴァレリー・ゲルギエフの指揮を見たことがある。曲もオーケストラの名前も忘れたが、御存じのとおりサントリーホールは、両サイドの一部に、指揮者の顔を見ることが出来る席がある。たまたまその席でゲルギエフと相対する機会があった。その時彼は「指揮棒」を持っておらず、素手だった。

そう言えば小澤征爾さんも素手のときが多かった。「指揮棒」は、フレーズの頭を指示してリズムを明確にするためだと言う。「奏者」は確かに出だしの瞬間を「指揮棒」で知るのだろうが、今回の「ニューイヤーコンサート」では、たまたま一番前の席で指揮者の横顔と奏者を真近に見た。指揮者が「指揮棒」を振り下ろす瞬間と、バィオリンの弾き始めにある種の「間」があった。「間」の存在が確かに「指揮」、つまり「演出」があるのだろうと思わせた。楽譜があり、指揮者も奏者も楽譜を見る。「指揮者によって違う」と言う疑問があった。

東京芸大でデザインを学ぶ学生と話したことがある。「指揮者は鏡の前で恍惚とした顔で手足を振っていた」と言う。そうだ「演技かも知れない」と思った。何事につけ多数の人を指揮するには、演技が必要なのだと思った。指揮者の曲に対する思いを伝えるには何処かで「オーラ」を発しなければならないのだろう。その「オーラ」を出す練習があるはずだ。

今回も、指揮者が奏者に見せる顔はやや優しさが先立っていた。奏者がアマチュアの学生であることもあって、厳しさがなかった。ゲルギエフの指揮は素手で奏者を威圧するような気配があった。楽譜をどう読むかは、恐らく誰も教えないのだろう。楽譜は「型」であり、その「型」を何百回、何千回繰り返すことで、いつかは「型」を越える時を迎えるのだろう。

私事で恐縮だが英信流居合を学んでいる。勿論「型」だが、基本は簡単で「横一刀」。正面の敵を正座から抜きつけて切る」。ただそれだけである。その型をもう何年もやっている。過去に2回ほど「斬れた」と言う一瞬があった。恐らく、指揮者も「私の曲だ」と思う一瞬があるに違いないと思った。

これも昔話だが、ブルガリアの「ソフィア少年少女合唱団」の東京演奏会にかかわったことがある。その時に指揮者が開演1時間前に「指揮棒を忘れてきた」と言いだした。指揮棒などなしでやれと言いたかったが「どうしても要る」と言ってきかない。仕方なく山野楽器店に行かせて買ってきたが、「指揮者が指揮棒を忘れるなど本当にやる気があるのか」と腹が立ったことがある。一般的に合唱では指揮棒を持たないのが全体の調和を出せると聴いてなお腹がたった。その時に「指揮棒」は、長さが決まっていないことを知った。カラヤンは白で短め、バーンスタインは長めだったそうだ。NHKの定期演奏会でアシュケナージ氏が指揮棒を折りその先が左手を刺し貫いて救急車で運ばれたこともあったと言う。それほどに自分の音楽を聞かせる「演技」が必要なのだろう。

4年間で大学を卒業する学生達。彼らのオーケストラが、指揮者の眼差しを受け、自らは、過ぎ去る時を感じたに違いない。その調和が若い彼等を一層輝かせた冬の夜ではあった。
(文責・加藤順一・37年法卒)



練馬区長から感謝状を贈られる荻野会長


演奏中のオーケストラ


プリマ演奏


VIP(森元首相)御来場
撮影:岡田吉郎さん



パンフレットの抜粋(12ページ)
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ご案内

平成24年10月吉日
練馬稲門会会長 荻野 隆義

新春は創立100周年のワセオケで・・・

晩秋の候、益々ご清栄のこととお慶び申し上げます。
さて練馬稲門会主催、早稲田大学校友会並びに練馬区後援による、早稲田大学交響楽団(ワセオケ)の第7回ニューイヤーコンサートを下記により開催いたします。
ワセオケは来年には創立100周年で大学の交響楽団の中でトップにあり、校友は勿論、広く社会からも評価をいただいています。
今回ご案内の第7回コンサートはワセオケ誕生100周年事業の一部にも組み込まれており、団長の意気込みにも例年以上のものを感じております。
ぜひ新春のひとときをお誘いあわせて、美しいメロディーをご堪能下さい。
尚、当稲門会では毎年このコンサートの収益金の一部を練馬区の「緑を育む基金(練馬みどりの葉っぴぃ基金)」に寄贈しております。
今後ともこのコンサートを練馬稲門会のシンボリックな祭事として位置付け、更に皆様からのご支援をいただくことを願っています。
ご来場を心からお待ちしています。


日時 平成25年(2013年) 1月19日(土)  16:30開場 17:00開演
場所 練馬文化センター大ホール (西武池袋線..練馬駅北口下車2分)
住所 練馬区練馬1-17-37 TEL 03-3993-3311
演奏曲目 
 R.シュトラウス/交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30
 ヨーゼフ・シュトラウス/鍛冶屋のポルカ 作品336
 シュトラウスU/トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214
 シュトラウスU/雷鳴と電光 作品324 他

【お申し込み】
チケットは2種類です
指定席 3,500円 1階と2階の前方 1056席
自由席 2,000円 2階の後方 340席

予約申込先 練馬稲門会事務局 担当 菅野(スガノ)
ご氏名・ご住所・連絡先・チケットの種類・枚数をメールまたはFAXでご連絡をお願いします。
お申し込み頂いた方には、折り返し、チケットの送付と振込先の通知をいたしますので、後日ご送金お願い申し上げます。

メール neritou@waseda-info.com
FAX 03-3994-3610
TEL 03-3993-4831


曲目の解説
シュトラウス一家について
ウィンナ・ワルツの基礎を築き、「ワルツの父」と言われたのがヨハン・シュトラウス一世です。代表作にはラデツキー行進曲があります。
彼には三人の息子がおり、長男がヨハン・シュトラウス二世。「ワルツの王」と称され、作品はワルツ「春の声」、ワルツ「美しく青きドナウ」、トリッチ・トラッチ・ポルカ、喜歌劇「こうもり」などをはじめとして、数え切れないほどあります。
二男がヨーゼフ・シュトラウスで、元々エンジニアの仕事をしていましたが兄が体調を崩し、代役をつとめたのをきっかけに音楽家として働くようになりました。鍛冶屋のポルカ、ワルツ「天体の音楽」などが有名です。
三男はハープ奏者でもあったエドゥアルト。作曲家としては兄たちほどの才能はありませんでしたが、オーケストラの統率に優れた能力を示し、指揮者としてウィーンの音楽界を支えました。

交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」作品30 R・シュトラウス
R・シュトラウスは1864年にミュンヘンに生まれた、ドイツ後期ロマン派を代表する作曲家。ウィーンのシュトラウス一家との血縁関係はありません。この作品は彼が32歳の頃、1896年に作曲されました。冒頭の序奏部分はスタンリー・キューブリックの映画「2001年宇宙の旅」に使用されたことでとりわけ有名になりました。曲名から分かるように、ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェの同名著書に影響を受けて創作されたもので、調性と様々な動機を巧みに使い分けることで、旧来のキリスト教的価値観を超克して新たな価値を創造する「超人」の思想、円環する「永遠回帰」の世界観といった彼の哲学を表現しています。

ワルツ「女学生」作品191 エミール・ワルトトイフェル
エーミール・ワルトトイフェルは19世紀フランスの作曲家であり、ウィーンのシュトラウス・ファミリー以外で現代も慕われている数少ないワルツの作曲家の一人です。「フランスのワルツ王」とも言われ、上品ながら親しみやすい旋律が特徴です。
ワルツ「女学生」はポール・ラーコム(1838-1920)という当時パリで大変人気のあったシャンソン作曲家の歌とスペインの民族的な旋律によって構成されたもの。原題“Estudiantina”とはスペイン語で〈学生の楽団〉という意味であり、明るく活気に満ちた様子が伝わってきます。

歌劇「メリー・ウィドウ(陽気な未亡人)」よりワルツ フランツ・レハール
ウィーン・オペレッタはスッペやヨハン・シュトラウス2世がこの世を去った後、しばらく沈滞していましたが、この「メリー・ウィドウ」によって《白銀時代》と呼ばれる二度目の隆盛を迎えました。
フランツ・レハールはハンガリーに生まれた後、プラハで音楽を学び、地方の劇場でバイオリン奏者を勤めた後、ドヴォルザークの勧めもあって作曲をするようになりました。優れた脚本家の助けもあってウィーンで上演されたこのオペラは、連続500回の公演、さらには映画化に到るほどの大変な人気を得ました。

ポルカ「狩りにて」作品373 ヨハン・シュトラウス2世
この曲は自身のオペレッタ「ウィーンのカリオストロ」のなかの「おお、わたしの駿馬よ」という歌を素材としたもの。軽快に馬が疾走する様子に始まり、森の中で小動物や小鳥と出会います。金管楽器が狩りの始まりを告げるファンファーレを鳴らすと、馬を鞭打つ音、狩りで用いられる鉄砲の音も聴こえてきます。簡潔なつくりではありますが、活き活きとした楽しげな狩りの様子が精妙に描かれており、当時50歳を迎えた「ワルツ王」の見事な手腕を聴きとることができるでしょう。

アンネン・ポルカ 作品117 ヨハン・シュトラウス2世
数多くのワルツ・ポルカを作り、「ワルツ王」と称賛されたヨハン・シュトラウス2世の作品の中でもとりわけ人気の高いポルカですが、作曲のいきさつは諸説あります。一説には彼に音楽教育を受けさせた母アンナに感謝の気持ちを込めて作曲されたと言われています。たしかに「年老いた母の手をとり、ゆっくりと歩く」ような温かさににあふれており、彼女のゆっくりとした足取りと、それを見守る家族の様子が聴こえてくるようです。

ポルカ「鍛冶屋のポルカ」作品269 ヨーゼフ・シュトラウス
ヨーゼフ・シュトラウスはヨハン1世の二男であり、ヨハン2世の弟。当初音楽家になる気はなく、工芸学校で学んだ後、工業技師として働いていましたが、兄のヨハン2世が体調を崩し代理として指揮をしたのをきっかけに転向、作曲と指揮で優れた業績を遺しました。
とある金庫メーカーが二万個製造記念に花火大会を催そうと依頼したのが作曲の契機。金庫作りは鍛冶屋の仕事、そして鍛冶屋も花火大会もドイツ語では同じ“Feuerfest”であり、遊び心と意趣に満ちたこの曲は、鍛冶仕事の作業台である金床を用いるというアイディアにより、彼のポルカの中でも最も人気のあるものとなりました。

トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214 ヨハン・シュトラウス2世
1854年、休養のために温泉地ガスタインを訪れたヨハン2世は、ロシアの鉄道会社からペテルブルクの社交界のために避暑地のパヴロフスクで演奏会の指揮をしてほしいという依頼を受けました。翌年から15年間、彼は毎年春にパヴロフスクに赴くことになりました。弟ヨーゼフとの合作「ピチカート・ポルカ」や「クラプフェンの森で」など、この毎年の旅行の中で生まれた名曲もたくさんあり、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」もそのひとつです。
「トリッチ・トラッチ」とは、ぺちゃくちゃおしゃべりをする様子のことであり、うわさ好きなウィーンの御婦人方のおしゃべりをユーモラスに描き出しています。3分もかからないほどの大変短い曲ですが、単なる繰り返しは意外に少なく、贅沢に作られているのです。

ポルカ「雷鳴と電光」作品324 ヨハン・シュトラウス2世
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートでも度々演奏される、非常に人気のある曲。遠く雷のゴロゴロというとどろきは大太鼓であらわされ、電光はシンバルの鋭い響きで表現されています。とはいえ曲中に恐ろしげな部分や不安にさせるようなところはなく、スリルがありながらも明るく爽快な調子です。

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